芦田淳 あしだ じゅん

デザイン

掲載時肩書ファション・デザイナー
掲載期間2009/08/01〜2009/08/31
出身地韓国
生年月日1930/08/21
掲載回数
執筆時年齢79 歳
最終学歴
専門学校
学歴その他東京高校
入社中原淳一 内弟子
配偶者デザイナ冨田友子
主な仕事皇室デザイナー、パリコレ・直営店
恩師中原淳一
人脈葦原邦子、中原利男(高島)、山中鎮(伊勢丹)、ラクロア、マンスフィールド、ルリ子、
備考
追悼

氏は’18年10月20日88歳で亡くなった。この「履歴書」に登場したのは、2009年8月の79歳のときでした。デザイナーで登場は、森英恵、ピエール・カルダン、芦田淳、高田賢三(以上ファッション)、横尾忠則(グラフィック)、栄九庵憲司(工業)の6人である。変化が激しいモード界で品格のある服を追い続けるのは難しい。だがその作風を貫き、正統派デザイナーとして不動の地位を築き上げた。
日本統治下の朝鮮半島で、裕福な開業医の父を持ち、8人きょうだいの末っ子で生まれた。ファッションに目覚めたのは引き上げ後、ニューヨーク帰りの兄一家と生活を共にした経験がきっかけだった。ハイヒールやミンクのコートをまとった義姉に衝撃を受け、米国のファッション誌を読み漁った。転機となったのが、少女画家でデザイナーの中原淳一氏との出会いだった。自宅では何度も追い返されたので、意を決して講演会に押しかけ描きためていたデザイン画を見せると、才能を見込まれて弟子入りを許された。このアトリエには乙羽信子、司葉子、岸恵子、高峰秀子、浅丘ルリ子ら人気女優も多く出入りしていたという。
高島屋の顧問デザイナーとして婦人服プレタポルテ(高級既製服)を日本に定着させ名声を得たが、その功績で欧州視察旅行を許された。パリの街にはシックに着飾ったマダムが行き交い、洗練された様々な洋服が店先を鮮やかに彩っているのにショックを受ける。そのとき日本に残してきた2歳の娘に「着せたいなぁ」と気に入った子供服を2か月間で段ボール3箱も買い、持ち帰った。この子供服は「機能的でセンスが良く上質なものを大切に長く着る」哲学があり、日本にはない発想なので目からウロコが落ちる気がした。この哲学を生かした子供服が浩宮さまの背広に採用され、その後皇室との繋がりを深めたのだった。そして89年にパリの高級ブティック街に直営店を開き、96年のアトランタ五輪には日本選手団公式服、全日空、帝国ホテルの制服も手掛けた実績を持つ。

芦田 淳(あしだ じゅん、1930年8月21日 - 2018年10月20日[1])は、日本ファッションデザイナー。株式会社ジュンアシダ創業者。

  1. ^ “デザイナーの芦田淳さん死去 皇族の服も手がける”. 朝日新聞. (2018年10月22日). https://www.asahi.com/articles/ASLBQ5J2VLBQUCLV01G.html 2018年10月22日閲覧。 
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