河合良成 かわい よしなり

機械・金属

掲載時肩書小松製作所社長
掲載期間1957/07/13〜1957/07/25
出身地富山県福光
生年月日1886/05/10
掲載回数13 回
執筆時年齢71 歳
最終学歴
東京大学
学歴その他四高
入社農商務省
配偶者記載なし
主な仕事東株、欧米視察、第百生命、大島厚生協会、東京市助役、農林次官、厚生大臣、小松製作所、貴族院議員、厚生大臣
恩師・恩人西田幾多郎、郷誠之助
人脈松村謙三(隣),浅野総一郎・安田善次郎・正力松太郎(同郷)、岸信介、星野直樹、鮎川義介、五島慶太、小林一三、藤原銀次郎
備考酒造家
論評

明治19年(1886年)5月10日 – 昭和45年(1970年)5月14日)は富山県生まれ。農商務官僚、政治家、実業家。昭和17年(1942年)に東京市助役に就任。戦後、昭和20年(1945年)10月、幣原内閣の松村謙三農林大臣の下で農林次官を務め、1946年(昭和21年)3月12日、貴族院勅選議員に任じられ、同年5月に第1次吉田内閣の厚生大臣となった。昭和22年(1947年)には経営不振だった小松製作所の社長に就任し再建する、のち会長となる。

1.西田幾多郎先生の人柄
四高に入り最初の一年は寄宿舎にいたが、後は西田先生が指導する三三塾に入った。私は先生からいろいろ教えを受けた。講義は倫理と論理であった。私は倫理をまとめパンフレットにして同級生に配ったが、これは西田さんのその後の思想発展の基礎をなすもので、先生の名著「禅の研究」の素で、ヘーゲルとカントを混ぜたような考え方だった。
 先生から一番切実に教わったのは自覚ということだった。いわゆるイプセンのノラのあたりの思想である。またプラトンの意思の力、つまり吹雪の中を突っ込んでいくという思想、意思の弱さは罪悪だという思想を植え付けられた。当時、西田さんは40ぐらいだったが、奇行をもって鳴らし、むやみに頭髪を延ばしている生徒をつかまえてはよく「なぜこんなに長い髪が必要なんだ、切ってしまえ」と言った。しかし一面、人情、愛情の細やかな人で、先生が子供を失ったとき、死んだ子供の話ばかりしておられた。

2.郷誠之助氏を囲む番町会
大正8年(1919)ごろから私は郷誠之助さんの子分だった。それに郷さんに講談本を読んで聞かせたという後藤国彦と岩倉具光、私の3人が相談し、郷のグループをつくろうではないかということになり、毎月14日、番町の郷邸に寄合い、ごちそうになったのが始まりである。当時、郷さんの家で使っていた鎌倉彫の丸いテーブルが丁度10人座れたので、会員数を10人にすることで、我々3人のほか渋沢正雄、正力松太郎、中野金次郎、伊藤忠兵衛、金子喜代太、永野護、春田護行らを加え、毎回、雑談に花を咲かせていた。中島久万吉さんや小林一三さんは客分として、ときどき参加していた。
 郷さんは随分いろいろなことをしたらしく、若い時の不良ぶりを披露して我々を笑わせた。渋沢正雄は鉄の話、伊藤忠兵衛は骨董品の話ばかりしていた。全くの雑談会で、別に大それたことなど企んだわけではなかった。しかしだんだん年月が経ち、連中が一国一城の主となり、財界でも相当の力を持つようになってきて、中野金次郎などは「このメンバーで内閣ができるな」と言って笑ったことを記憶している。

3.代議士落第
昭和27年(1952)の年末選挙で私は代議士に出たが、そのころ鳩山一郎さんと吉田茂さんがケンカをしているときで、私は鳩山さんを助け、鳩山党の財政を担当していた。三木武吉、河野一郎、石橋湛山、石田博英といった連中とともにやっていたわけだが、だんだん両派の軋轢が激しくなり、鳩山自由党分立というところへ追い込まれた。私は「分かれるために君らと一緒にやっているのではない。保守を統一するためにやっているのだ」と、とうとう自由党を脱退してしまった。そして代議士を辞める決意をした時に、解散になった。
 私は全く、政治家に落第したわけである。政治家は、ほんとうに国家のためになるという考えで政治をやり、それがそのまま通るなら政治家もいいが、現実の政治はそうではないと痛感した。

河合 良成
かわい よしなり
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生年月日 1886年5月10日
出生地 日本の旗 日本 富山県福光町
没年月日 1970年5月14日(84歳没)
出身校 東京帝国大学
前職 農林次官
農商務官僚
所属政党 自由党
称号 富山県高岡市名誉市民

日本の旗 第15代 厚生大臣
内閣 第1次吉田内閣
在任期間 1946年5月22日 - 1947年5月24日

選挙区 旧富山2区
当選回数 1回
在任期間 1952年 - 1953年

選挙区 勅選議員
在任期間 1946年3月12日 - 1947年5月2日
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河合 良成(かわい よしなり、明治19年(1886年5月10日 - 昭和45年(1970年5月14日)は、日本農商務官僚政治家実業家。富山県高岡市名誉市民

第1次吉田内閣厚生大臣小松製作所会長、経団連常任理事。

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