橋田壽賀子 はしだ すがこ

文芸

掲載時肩書脚本家
掲載期間2019/05/01〜2019/05/31
出身地韓国
生年月日1925/05/10
掲載回数30 回
執筆時年齢94 歳
最終学歴
早稲田大学
学歴その他日本女大
入社大船脚本養成所
配偶者5歳下TBSプロデュサー
主な仕事七人の刑事、愛と死を見つめて、時間ですよ、おんな太閤記、おしん、渡る鬼、いのち、春日局、女忠臣蔵、源氏物語、戦争と平和
恩師・恩人石井ふく子
人脈松山善三、鴨下信一、久世光彦、森光子、池内淳子、泉ピン子、佐久間良子、三田佳子、
備考石井ふく子仲人
論評

女流作家でこの「履歴書」に登場したのは、平林たい子、円地文子、瀬戸内寂聴、佐藤愛子、田辺聖子、平岩弓枝の6人であるが、脚本家は橋田が初めてである。彼女は新聞をよく読み、中でも投書欄は欠かさない。またラジオの人生相談番組にも耳を澄ませる。今の日本人が、年代や境遇によって何を考え何に悩んでいるかを知ることができるからだった。それをテレビドラマの中に生かした。そこから生まれたのが高視聴率を稼ぎだした「七人の刑事」、「愛と死を見つめて」、「時間ですよ」、「おんな太閤記」、「おしん」、「渡る鬼」、「いのち」、「春日局」、「おんな忠臣蔵」、「源氏物語」などの人気番組だった。彼女によれば、テレビ界では「視聴率は絶対的なものはない」と言われながらも、①身近なテーマ、②展開にとんだストーリー、③リアルな問題点の3つの要素を持っていれば、必ず視聴者の心を掴むことができると明言している。

彼女の書くセリフは長いのが特徴という。理由としてテレビの放送は毎週午後9時からの1時間。主婦が夕食の後片付けをしている時間帯に重なるので、テレビを見ていなくても台所でセリフを聞いていれば、話の筋がわかるように場面の切り替えを少なくしたからだった。普通、映画は監督、テレビは脚本、演劇は役者で良しあしが決まると言われる。その理由は、映画は監督が絶対の権限を持ち、役者は言いなりに動くしかない。テレビは資金も時間も限られ、最初の脚本が出来不出来を左右する。しかし、演劇では仮に監督や脚本がダメでも、役者に力と華があれば観客全員を魅了してしまう。生の舞台にはそんな魔法があると脚本・演劇家の成井豊氏が解説していた。彼女は「夫婦百景」のテレビを見て、驚いた。映画は脚本があっても撮影現場で監督が簡単にセリフを変える。俳優の都合で変更になることも多い。それなのにテレビドラマでは彼女の脚本が一言も変えられずに放送された。このように脚本家が大切にされる世界だったのが、脚本家になる理由になった。

国民的テレビドラマとなった「おしん」では、ロケ現場で脚本家本人も泣いた。雪降る中、筏の上で10歳の小林綾子が「母ちゃん」と叫ぶおしん。声もなく涙する母ふじ。岩山の木陰を追うように走る作造は「すまねぇ、すまねぇ」とつぶやいてその場でうずくまる。このシーンの撮影が終わるとスタッフや見物の人たちから大きな拍手が湧きあがった。どの顔も涙でぬれている。現場にいた「私も泣いた」とある。彼女が紙の上に書いたセリフが俳優たちの体の動きと肉声によって命を吹き込まれ、生身の人間のドラマとして立ち上がったからだった。脚本家冥利に尽きるというものだろう。1年間の放送が終わってみれば平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%。その後、68の国と地域で放送されたが、イランでは最高視聴率が82%、タイでは81%、北京でも76%もの驚異的な大記録だったという。耐えるおしん、夢を捨てないおしん、優しさを失わないおしんの姿が言葉や国境を越えて人々に届いたのだろうと述懐している。彼女は実力脚本家だけあって、文章の構成がうまく、表現も的確で読ませる「履歴書」だった。

追悼

氏は’21年4月4日に95歳で亡くなった。この「履歴書」に登場は2年前の’19年5月、93歳の時でした。この登場時に私は次のことを教えていただき、「論評」と「才女」に書き込みました。

1.テレビ脚本の3要件
① 身近なテーマ、②展開にとんだストーリー、③リアルな問題点の3つの要素を持っていれば、必ず視聴者の心を掴むことができる。

2.脚本家になった理由
映画は脚本があっても撮影現場で監督が簡単にセリフを変える。俳優の都合で変更になることも多い。それなのにテレビドラマでは彼女の脚本が一言も変えられずに放送された。このように脚本家が大切にされる世界だったのが、脚本家になる理由になった。

3.恩人・石井ふく子プロデューサー
石井さんは厳しかった。原稿のあちこちを指して「これはテレビのセリフじゃないわ」「ここ読んでごらんなさい。こんなキザなセリフ言う?」とダメ出しが続く。何台ものカメラを使い、アングルが頻繁に変わる映画の脚本だとセリフは短いほどいいのだが、テレビでは長くても構わない。「ホームドラマはおしゃべりドラマなんだ」と思って原稿に手を入れた。
石井さんにダメ出しされているうちに、映画時代に身についていたものが少しずつ剥がれていき、テレビドラマがどういうものかぼんやりとわかってきた。私より1歳下の石井さんに血を全部入れ替えてもらった気がした。
 「愛と死をみつめて」が放送された1964年(昭和39)4月、私は38歳でようやく脚本家として足が地に着いた。
石井さんは1歳年下だという。今回の悲報を一番寂しく、つらく思っていると思う。また、臨終を看取った泉ピン子さんは、橋田さんから「悲しまなくていい。千の風になっているだからいつも見守ってあげる」と言われたとか。石井・橋田一家の芸能人は同じ気持ちでしょうね。

美女と才女
橋田壽賀子
橋田 壽賀子
2015年11月、文化功労者顕彰に際して公表された肖像写真
2015年11月、文化功労者顕彰に際して公表された肖像写真
プロフィール
本名 岩崎 壽賀子
誕生日 (1925-05-10) 1925年5月10日
出身地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮京城府
死没日 (2021-04-04) 2021年4月4日(95歳没)[1]
死没地 日本の旗 静岡県熱海市[1]
血液型 B型
活動期間 1949年 - 2021年
主な作品
テレビドラマおんな太閤記
おしん[2]
いのち
橋田壽賀子ドラマ おんなは一生懸命
渡る世間は鬼ばかり
なるようになるさ。』シリーズなど
受賞
NHK放送文化大賞:1979年(昭和54年)
菊池寛賞1984年(昭和59年)
モンブラン国際文化大賞:2000年(平成12年)など
その他
橋田賞」創設者
紫綬褒章1988年(昭和63年)、
勲三等瑞宝章2004年(平成16年)、
文化功労者2015年(平成27年)、
文化勲章2020年(令和2年)、
従三位2021年(令和3年)、
熱海市名誉市民2021年(令和3年)
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橋田 壽賀子(はしだ すがこ、1925年〈大正14年〉5月10日 - 2021年〈令和3年〉4月4日[1])は、日本脚本家劇作家タレントである。本名は岩崎 壽賀子(いわさき すがこ)[3](旧姓:橋田)。位階従三位静岡県熱海市名誉市民

1949年(昭和24年)、松竹に入社し、脚本部に配属される。1964年(昭和39年)『袋を渡せば』でテレビドラマの脚本家デビュー[4][5][6]。同年、東芝日曜劇場のために執筆した『愛と死をみつめて』の脚本が話題となって以後、テレビドラマの脚本家として話題作・ヒット作の数々を世に送り出した。

代表作は『おんな太閤記』『おしん』『いのち』『橋田壽賀子ドラマ おんなは一生懸命』『春日局』『渡る世間は鬼ばかり』『なるようになるさ。』シリーズなど。

  1. ^ a b c “橋田壽賀子さん死去 95歳 「渡る世間は鬼ばかり」「おしん」”. 毎日新聞. (2021年4月5日). https://mainichi.jp/articles/20210405/k00/00m/040/138000c.amp 2021年4月5日閲覧。 
  2. ^ 脚本家の橋田壽賀子さん死去「おしん」など手がける 95歳2021年4月5日 NHK NEWS WEB
  3. ^ 橋田壽賀子(1)夫の死 肺がん 病名明かさず 唯一の家族失い天涯孤独 私の履歴書 - 日本経済新聞 2019年5月1日
  4. ^ 『渡鬼』橋田壽賀子氏&石井ふく子P「いい時代にいい仕事ができた」 ORICON NEWS 2018-08-29
  5. ^ 『池上彰の5夜連続BIG対談 池上彰×橋田壽賀子』BSフジ 2018年3月18日
  6. ^ 輝く人 インタビュー 3月号 Vol.90 脚本家 橋田壽賀子さん ゴールデンライフ 2018/2/15
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