植田紳爾 うえだ しんじ

映画演劇

掲載時肩書宝塚歌劇団名誉理事
掲載期間2014/10/01〜2014/10/31
出身地大阪府
生年月日1933/01/01
掲載回数30 回
執筆時年齢81 歳
最終学歴
早稲田大学
学歴その他
入社宝塚映画
配偶者山村流 一人娘
主な仕事脚本、パリ公演、ミュージカル、スター 育成、ベルばら、「風、去りぬ」、5組体制、
恩師
人脈北条秀司、長谷川一夫、坂田藤十郎、 二代目尾上松緑、戸板康二、
備考叔父が父
論評

植田氏は、宝塚歌劇団を演劇の脚本、シナリオ、演出から経営の全般にまで語ってくれた。この宝塚を「私の履歴書」で語った人は、天津乙女、春日野八千代、扇千景、有馬稲子が劇団員として書いているが、脚本や演出分野で語っている人は、他に二代目尾上松緑、長谷川一夫がいる。尾上は歌劇団に歌舞伎様式と踊り指導を、長谷川は女形の経験から、「ベルばら」で観客に美しく見せるポーズ、メークやかつらのカールなども手ほどきしたと書いている。

私(吉田)の未知の情報は、音楽学校のルールとして在学中は随時、試験が行われ、卒業証書の授与は成績順で決める。歌劇団入団後も試験があり、結果は退団後もついて回る。同窓会の会合でひと度「集合」の声が掛かれば、出席者は入団年次に成績順に並ぶ。この時は、舞台でトップをはったかどうかは関係ない。鳳蘭は学校の成績は思わしくなかったが、星組のトップ男役になったと。

彼はスター育成に力を入れたが、スター誕生には3パターンがある。第1が音楽学校入学時や歌劇団入団時に、目を引きつけられる生徒(鳳蘭、麻実れい、天海祐希ら)。第2は、制作スタッフの抜擢で伸びるケース(遥くらら、神奈美帆ら)。第3は、コツコツやっていて突然、輝き出す生徒(松あきら、日向薫ら)がいる。彼は勿論明日のスター育成のために抜擢人事を行ったが、重要視したのは、自分の欠点を自覚できるか否か。メーキャップ一つをとっても、欠点を自覚すればこそ、自分に見合う化粧法を身につけられるからだと書いている。

いろいろなヅカ・スターの名前が「履歴書」には次つぎと出てきたが、私には顔や配役がわからない。それは学生時代、宝塚大劇場が近くあったので、熱烈なヅカファンの美人学生を誘って観劇したことがある。その時、舞台を見ながら彼女が大声でスターに声援を送っているのを隣りで見て、一挙に片思い熱が冷めた経験がある。それ以後、宝塚歌劇は見ていないからだ。

1966年撮影、左より岡田敬二小原弘亘柴田侑宏酒井澄夫阿古健植田

植田 紳爾(うえだ しんじ、本名山村 紳爾<やまむら しんじ>、1933年1月1日 - )は、日本の劇作家演出家である。宝塚歌劇団専属。1996年から2004年まで同歌劇団理事長を務めた。現在は同歌劇団特別顧問、社団法人日本演劇協会会長。大阪府生まれ。

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