森本公誠 もりもと こうせい

宗教

掲載時肩書東大寺長老
掲載期間2014/08/01〜2014/08/31
出身地兵庫県
生年月日1934/04/01
掲載回数30 回
執筆時年齢80 歳
最終学歴
京都大学
学歴その他奈良女子付属高校
入社15歳東大寺
配偶者西方寺娘
主な仕事エジプト、イスラム史編纂、京大講師、環境税反対、東大寺別当、総合文化センター
恩師・恩人藤本勝次教授
人脈東畑誠一、吉川幸次郎、青山秀夫、イラン・ロハニ師、
備考清水公照 から破門
論評

1934年 – )は兵庫県生まれ。華厳宗の僧侶・イスラム学者。文学博士。 2004年から2007年まで第218世東大寺別当・華厳宗管長を務める。現在は東大寺長老。長年にわたり仏教者の立場から国内外でイスラム教との交流を重ねてきた。

宗教家で登場したのは、鈴木大拙(臨済宗・円覚寺)、橋本凝胤(奈良・薬師寺)、池田大作(創価学会)、御木徳近(PL教)、庭野日敬(立正佼成会)、立花大亀(京都・大徳寺)、葉上照澄(京都・延暦寺)、山田恵諦(比叡山・天台座主)に次いで9人目である。この中で葉上氏は大学教授や新聞論説員も本職以外に務め異色であったが、この森本氏もイスラム教の研究者で異色の経歴の持ち主であった。(氏の生まれは1934年とありますが、月日は不明です)

1.東大寺とは
東大寺は大仏造立と共に、全国の国分寺僧を養成する、総合大学のような拠点として奈良時代に創建された。10代半ばの若い僧が集まり基礎医学を修めた後、華厳宗、律宗、法相宗など六宗に加え、平安時代には天台・真言を合わせた仏教の八宗を兼ねて学んだ。そこで一宗一派に片寄らないという伝統が生まれた。だから、檀家がなく、葬式がない。東大寺は国家や国民のために祈ることを本務としてきた。

2.イスラム史研究に没頭
1953年4月、京都大学文学部に入学した。この頃の京都大学の同輩大半は圧倒的に左翼思想の持ち主だった。「宗教はアヘンである」と修行僧であった私に面と向かって言われたこともある。
 学期が進むと、専門課程への進路指導が行われる。どんな学科を選ぶか。キリスト教、イスラム教、仏教は世界三大宗教という。うちイスラム教はこの現代にあっても活力に溢れていると聞く。どこにそんな秘密があるのか。わが国では研究が進んでいそうにない。およそ仏教とは対極にありそうな宗教のようだが、もしその真髄を探れば、かえって仏教の現代的意義を見出せるのではないか。
そして日本では未知のイスラム史の研究に没頭した。大学院の修士課程では「イスラム教の財政」を採り上げ、その縁でカイロ大学に留学。現地の膨大なアラビア語資料を、40度を超す寮で猛勉強した。そこでイスラム経済史全体を理解したことで、帰国後にこれをテーマに博士課程を終了させた。その間、見習僧から塔頭住職に昇格するが、京都大学の非常勤講師も勤めることにもなった。

3.聖武天皇の実像に迫る
私は、東大寺別当となり、2006年5月には聖武天皇1250年御遠忌法要を迎えた。またこの年は、光明皇后1250年御遠忌にも当たる。同時に平城遷都1300年の記念の年でもあった。これまでに書き連ねて来た聖武天皇の原稿を何とか書物にして、廬舎那仏の宝前に供え、人々に読んでいただく考えで、同年10月上梓した。
演題は、「聖武天皇 責めはわれ一人にあり」であり、天皇の詔のうち、もっとも心打たれた言葉から採った。聖武天皇の実像に迫りたい内容は、
干ばつによる不作の連続で飢饉が起り、飢餓状態に陥った民が罪を犯してしまう。そのような事態に至った責任は朕一人にあるとして、罪人に大赦を与えた。危うさの前から逃げようとする人間は多いが、天皇は逃げなかった。
それでも災害は天皇に追い討ちをかけた。天然痘が隔年に大流行し、光明皇后の藤原4兄弟をはじめ、多くの高位高官や庶民が犠牲になった。労働力を失った国土は荒廃し、各地に浪人が溢れた。天皇は律令という国家基本法の定めにこだわることなく、現実を見据えた対策を立てた。例えば、不浪人は戸籍法では原籍地に送還となるが、天皇はそれを止めさせ、既住先で登録することを許した。そして、行政の無駄を省く政策の一環として、官員法に定める地方官員の定員を削減した。
また、原野をせっかく開墾しても、孫の代で国家に収用されるとなると、働く意欲が萎える。天皇はこれを改め、開墾地の永久私有権を認める法律をだした。そしてもっとも困難なのは災害で疲弊した民の心の問題であった。解決策として出したのが国分寺・国分尼寺の建立と動植物もともに繁栄することを願う盧舎那大仏の造立であった。前者は仏教思想の啓蒙機関、後者は造像事業による民の結束であり、延べ260万人が結集した、など。

森本 公誠
人物情報
生誕 1934年????
日本の旗 日本兵庫県姫路市
出身校 京都大学カイロ大学
学問
研究分野 東洋史(イスラム)・宗教学
学位 文学博士
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森本 公誠(もりもと こうせい、1934年 - )は、華厳宗僧侶イスラム学者文学博士2004年から2007年まで第218世東大寺別当華厳宗管長を務める。現在は東大寺長老。長年にわたり仏教者の立場から国内外でイスラム教との交流を重ねてきた。

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