森本公誠 もりもと こうせい

宗教

掲載時肩書東大寺長老
掲載期間2014/08/01〜2014/08/31
出身地兵庫県
生年月日1905/04/17
掲載回数
執筆時年齢80 歳
最終学歴
京都大学
学歴その他奈良女子付属高校
入社15歳東大寺
配偶者西方寺娘
主な仕事エジプト、イスラム史編纂、京大講師、環境税反対、別当、総合文化センター
恩師藤本勝次
人脈吉川幸次郎、青山秀夫、イラン・ロハニ、
備考清水公照 から破門
論評

宗教家で登場したのは、鈴木大拙(臨済宗・円覚寺)、橋本凝胤(奈良・薬師寺)、池田大作(創価学会)、御木徳近(PL教)、庭野日敬(立正佼成会)、立花大亀(京都・大徳寺)、葉上照澄(京都・延暦寺)、山田恵諦(比叡山・天台座主)に次いで9人目である。この中で葉上氏は大学教授や新聞論説員も本職以外に務め異色であったが、この森本氏も異色の経歴の持ち主であった。
氏は、学問寺として有名な東大寺に入寺し、僧修行しながら京大の文学部に入学。そして日本では未知のイスラム史の研究に没頭した。大学院の修士課程では「イスラム教の財政」を採り上げ、その縁でカイロ大学に留学。現地の膨大なアラビア語資料を40度を超す寮で猛勉強した。そこでイスラム経済史全体を理解したことで、帰国後にこれをテーマに博士課程を終了させた。その間、見習僧から塔頭住職に昇格するが、京都大学の非常勤講師も勤め上げた。
印象に残ったもう一つは、東大寺建立の祖である聖武天皇の実像を「聖武天皇 責めはわれ一人にあり」を上梓して広く世に紹介したことであった。天皇は律令という国家基本法の定めにこだわることなく、現実を見据えた対策を立てた。例えば、不浪人は戸籍法では原籍地に送還となるが、天皇はそれを止めさせ、既住先で登録することを許した。・・原野をせっかく開墾しても、孫の代で国家に収用されるとなると、働く意欲が萎える。天皇はこれを改め、開墾地の永久私有権を認める法律をだした。そしてもっとも困難なのは災害で疲弊した民の心の問題であった。解決策として出したのが国分寺・国分尼寺の建立と動植物もともに繁栄することを願う盧舎那大仏の造立であった。前者は仏教思想の啓蒙機関、後者は造像事業による民の結集であったという。

森本 公誠(もりもと こうせい、1934年 - )は華厳宗僧侶イスラム学者文学博士

2004年から2007年まで第218世東大寺別当華厳宗管長を務める。現在は東大寺長老。

長年にわたり仏教者の立場から国内外でイスラム教との交流を重ねてきた。

[ 前のページに戻る ]