桑原幹根 くわばら みきね

行政・司法

掲載時肩書知事会会長・愛知県知事
掲載期間1969/02/03〜1969/02/27
出身地山梨県
生年月日1895/08/29
掲載回数25 回
執筆時年齢74 歳
最終学歴
東京大学
学歴その他一高
入社内務省
配偶者水泳得意
主な仕事山口、広島、宮城、警察講習所長、東北振興、東京商工会議所、愛知県知事
恩師松井春生
人脈岡崎勝男、岡崎嘉平太、大佛次郎、川端康成、増田甲子七、藤原銀次郎、船田中
備考伊勢湾台風の復旧と復興
論評

1895年8月29日 – 1991年4月11日)は山梨県生まれ。日本の政治家、内務官僚。日本商工会議所と東京商工会議所の専務理事を務めていた1941年8月、東北興業株式会社の副総裁に選任される。
1945年4月、東北興業の総裁に就任。同年7月10日の仙台空襲により東北興業の本社は焼失。
1946年に官選愛知県知事に任じられ、公職追放された後、公選で当選し、同知事を6期24年にわたって務めた。

1.五・一五事件記事の掲載止め
昭和6年(1931)の暮れに内務書記官になり、警護局の図書課長を命ぜられた。翌年5月に犬養毅総理大臣が若い将校の放った凶弾に倒れたのである。あの「話せばわかる」といった一言で有名な五・一五事件である。この日はあたかも日曜日で、内務政務次官は松野鶴平さん、事務次官は河原田稼吉さんで、警保局長は森岡二郎さんであった。この3人も選挙が終わりホッとした気持ちで、その日は千葉県に釣りに行っておられた。犬養総理が凶弾に倒れるとの報は、ゴルフ場にいた私のもとに、いち早く伝えられたので、私は直ちに丸の内大手町の内務省に戻った。千葉県の釣り組の内務省三役も役所に戻られ、早速会合を持ち、事件の真相が判明するまで新聞記事を差し止めることとした。そこで私は、記事を掲載してはならないことを各新聞社に通達した。
 ところが、記事差し止めに対する各新聞社の抵抗はすこぶる強く、私の事務室の机の前には、各社の幹部が入れ替わり立ち替わり来て、鋭く私を難詰した。しかし私は犯罪捜査の立場から、事件の内容が一応明らかになるまで便宜的措置であることを説明して、その了解を得るに努めた。一夜すぎて、事件の内容も明らかになったので、記事差し止めを解禁したのだが、今度は軍部のものすごい反発が起こったのだった。

2.東北振興の推進
昭和10年(1935)10月25日に内閣東北振興事務局の看板を掲げて、私は専任書記官となった。早速、松井春生局長は東北振興調査委員会を設けて、委員に貴族院議員菅原通敬氏、勧業銀行馬場鍈一氏など政界、財界の一流どころを集め、意見書を出してもらった。
 東北地方は農業を主とする地域ではあるが、その振興を図るには、さらに工業の立地が必要である。また工業の立地には、電力の供給が必要であり、そのために、電源開発を先行すべきであるとの意見だった。
電力の開発は阿武隈川から始められ、やがて田沢湖や奥入瀬川などにも行われた。これらの電力の供給を受けて各種の事業も興ったが、東北アルミニュウム、東北金属マグネシュウムなどの会社は多量の電力を使用した。他の有力社は東北振興パルプで藤原銀次郎の支援が大きかった。

3.愛知用水の実現
公職追放中の4年間、私は愛知用水の実現に深い関心を持って、現地も見て回った。用水の取り入れ口や、水路地点などを視察した。知事当選後は、まず第一に愛知用水に取り組むべきと考えた。
 昭和26年(1951)7月、私は公選知事として、愛知用水計画の実現に向けて調査費を計上した。その後政府方面の関心も深くなり、農林省の熱意にもよって、ようやく中央の政治の舞台に上がるようになった。河野一郎氏も農林大臣として、愛知用水公団の設立に尽力され、吉田茂総理は、講和条約締結のため米国に行かれた時、世界銀行からの資金借り入れについてお世話してくださった。
 愛知用水公団の設立は昭和30年(1955)であるが、それ以来建設の工事は極めて順調に進み、公団を設立してから6年後の昭和36年(1961)9月には、完成のうえ通水することが出来た。

桑原 幹根
くわはら みきね
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生年月日 1895年8月29日
出生地 山梨県南都留郡明見村(現・富士吉田市
没年月日 (1991-04-11) 1991年4月11日(95歳没)
出身校 東京帝国大学法学部
所属政党 無所属
称号 勲一等旭日大綬章

愛知県の旗 公選第2-7代 愛知県知事
当選回数 6回
在任期間 1951年5月11日 - 1955年1月17日
1955年2月15日 - 1975年2月14日

愛知県の旗 愛知県知事(官選)
当選回数 1回
在任期間 1946年7月9日 - 1947年3月5日
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桑原 幹根(くわはら みきね、1895年8月29日 - 1991年4月11日[1])は、日本の政治家内務官僚[1]。1946年に官選愛知県知事に任じられ、公職追放された後、公選で当選し、同知事を6期24年にわたって務めた[1]。1987年愛知県名誉県民[2][1]勲一等旭日大綬章受章[1]

  1. ^ a b c d e - 富士吉田市 - 桑原 幹根(くわばらみきね)氏
  2. ^ 愛知県、24年ぶりに「名誉県民」授与へ  :日本経済新聞 2011/9/2付
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