新関八洲太郎 にいぜきやすたろう

商業

掲載時肩書元三井物産会長
掲載期間1956/11/18〜1956/12/02
出身地埼玉県
生年月日1897/04/02
掲載回数15 回
執筆時年齢59 歳
最終学歴
一橋大学
学歴その他東京高商予科
入社山下(汽船)石炭
配偶者物産先輩紹介娘
主な仕事三井物産、仏国、独逸、東洋レーヨン、平壌、豪州、タイ、奉天、満州捕虜、中国引揚50歳、第一物産社長、物産社長
恩師・恩人向井忠晴、三木滝蔵
人脈大屋晋三(高商学友)、野坂参三、藤田勘一、部下水上達三、前田鉄三
備考帰国50歳、三井物産を再興
論評

1897年(明治30年)4月2日 – 1978年5月30日)は埼玉県生まれ。実業家で、元三井物産社長・会長。
1918年(大正7年)3月、東京高等商業学校(のちの一橋大学)卒業。クラスメートに大屋晋三がいた。1918年(大正7年)4月、山下汽船入社。1919年(大正8年)3月、三井物産入社。マルセイユ支店に赴任。1956年(昭和31年)松永安左エ門の私的シンクタンク産業計画会議委員に就任。

1.向井忠晴氏の部下掌握法
大正9年(1920)、私が三井物産マルセイユ支店の会計課で苦労しているころ、向井忠晴さんはロンドン支店長代理だったが、あるときマルセイユに出張してこられた。私はその時が初対面だったが、誠に奇妙な一場面を思い出すたびに、苦笑を禁じえない。それは私が入浴中に起こったことである。
 私の入っているバスルームの扉を開いて向井さんが入って来て、同室の便所で用を足した。そこまではいいが、向井さんは何と思ったか、急に私の股間に手を伸ばしてギュッと握った。若き日の向井さんの茶目っ気である。お陰で爾来ずーっと、私は向井さんに股間を握られているようなものである。

2.ソ連軍侵入時の恐怖
昭和20年(1945)8月9日、ソ連の参戦と同時に、満州・松花江工業の在新京社員を全部、私の狭い家に集め、ここで15,6人が共同生活を始めた。まだ見ぬソ連軍の侵入を目前に、不安と恐怖に襲われていた。みんなと相談して“ソ連軍歓迎、当家には電信技師、化学技師、建築技師、事業経営者在り”というロシア語の看板を掲げて待機した。少しでも敵さんの意を迎えて、ドサクサの犠牲になるまいと思ったのだった。それより前、妻と娘には人から分けてもらっていた青酸カリを、万一の場合を思って預けておいた。敵を前にした人でなければ分からぬ悲壮な覚悟だった。
 いよいよ恐怖の瞬間が来た。8月19日、ソ連軍の侵入。私の家の裏で大きな物音がしたのが、その先触れで、ソ連も大型トラックが垣根を破って庭に乗り入れようとしているのが見られた。さすがに一瞬、血の凍るような恐怖を感じた。しかし、2階の寝室と下の食堂は使用を許されたので、最初の恐怖は去った。

3.第一物産で再出発
昭和21年8月末に50歳で帰国し、東京の生活が始まった。21年の暮れ、私は物資部長兼セメント部長のポストが与えられた。ところが間もなく、22年3月に当時の三井物産の重役は全部パージになった。それで私はいきなり常務取締役の末席に名を連ねたのである。取締役になると、昔からの習慣で会社から自動車を回してくれるようになった。二階借りの重役(私)がトントン降りてきて、会社差回しの自動車で出勤するのである。いささか漫画の材料のようであるが、乗物の混んだ当時、自動車はありがたかった。
 その頃の仕事は、いかにGHQをなだめて三井物産を維持するかということだった。宮崎清社長時代に、総会でGHQの強制により物産を10に分割することが定められていたが、何とかできるだけその数を少なくしようじゃないかと、いろいろ工夫することが重役の主な仕事であり、持株整理委員会との交渉、GHQとの折衝に明け暮れていた。多少好転の兆しを感じた矢先、7月3日総司令部から解散命令が来た。
 翌22年10月、水上達三君らが私の家にやってきて、第一物産の社長になってくれと懇請され引受けた。第一物産の資本金は19万5千円で、事務所は某銀行支店の建物を当時の持ち主から借りて出発した。さいわい26年の朝鮮動乱が起こり、動乱後の痛手も最小限に食い止めたので、社業は順調に発展した。その後、何十という会社と合併して、会社はますます大きくなった。そして31年になってから国際物産交易との業務提携を行い、社員の数は海外店を含め約4千を数えるに至った。社屋も日産館に移った。
 思えば、ここまで来るのに9年の歳月が流れた。しかしまだまだ往年の三井物産の国際的な活動に比べれば目標は遠いものがある。鉄道でいえば、荒野にレールを敷き、ようやく試運転の車が走り出した程度である。この先、何年たったら立派な鉄道になるのか、恐らく10年、20年を要するのではないだろうか。

新関 八洲太郎(にいぜき やすたろう、1897年(明治30年)4月2日 - 1978年5月30日)は、埼玉県浦和市出身の実業家で、元三井物産社長会長

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