徳川夢声 とくがわ むせい

映画演劇

掲載時肩書声優
掲載期間1961/08/06〜1961/08/31
出身地島根県
生年月日1894/04/13
掲載回数26 回
執筆時年齢67 歳
最終学歴
高等学校
学歴その他府立 一中(日比谷高)
入社弁士(認可1号)
配偶者記載なし
主な仕事日活弁士→松竹、関東震災、報知新聞、目黒キネマ、舞台・映画俳優、英国戴冠式、文学座、ラジオ・話の泉、
恩師
人脈菅原通済(小同級)、小山内薫、古川緑波、杉村春子、堀内敬三、サトーハチロー、柳家金語楼
備考文学座創設幹部
論評

1894年4月13日 – 1971年8月1日)は島根県生まれ。弁士、漫談家、作家、俳優。ラジオ・テレビ番組などをはじめ、多方面で活動した日本の元祖マルチタレントとも言える人物である。「彼氏」「恐妻家」の造語でも知られる。文筆にも優れ、「新青年」などにユーモア小説やエッセイを多数執筆。日本放送芸能家協会(現・日本俳優連合)初代理事長。

1.徳川夢声の芸名由来
活弁士をしているといろいろな劇場から声がかかった。赤坂溜池の葵館から誘いがあったが、当時、東京市内における最高の常設館であった。西洋モノ専門で、客種の高級なことも東京一だった。まぁ、映画劇場のメッカみたいなところだ。
 さて、葵館は日活直営である。第二福宝館を辞めるときに、私は日活とケンカ別れになっている。もとの福原霊川という名前では、とても入社できない。「なァに、別に悪いことではないよ、方便というものだ。変名してみてくれ給え」西川支配人に口説かれて私は、それならみんなで勝手に名前を考えてくれと答えた。
「葵」(アオイ)だからトクガワ(徳川)がよかろう、という多数意見で、とうとう私の芸名が衆議によって定められたのである。
 世の中には、平民のクセに徳川を名乗るとは、あきれた心臓の奴だ、とお考えになる向きも多かろうと思う。もし私が、自分で考えるとしたら、こんな途方もない名は付けなかったに違いない。

2.文学座で旗揚げ
昭和8年(1933)トーキー映画になると活弁士は廃業となる。地方巡りの役者や弁士などが「仮名手本忠臣蔵」など興行を堂々と無茶苦茶にやってのけた。なにしろ俳優の半数くらいが、忠臣蔵なんて見たことがない連中であったが、これがビックリするほどの大入り満員だった。
 しかし、こんな芝居ばかりしていたのでは本当の俳優にはなりにくい。ひとつ私も、成り行き上、役者になったのだから、どうせ役者になるなら本格の修業をしてみたい。そう思っているところへ、文学座の三巨頭(岸田国士、岩田豊雄、久保田万太郎)から誘いを受けた。私は一も二もなく承知した。俳優は友田恭介、田村秋子、それに私が加わって幹部というわけ。
 昭和13年3月25日、芝田村町の飛行館で「試演会」と銘うって、曲がりなりにも第一回の公演をした。私は、杉村春子嬢と二人きりの芝居「我家の幸福」を出し物とした。原本はフランスだが、私は岸田氏に任されて日本モノに翻訳した。

3.ラジオ「話の泉」「こんにゃく談義」の思い出
昭和21年(1946)11月24日、GHQの許可が出て初めて「話の泉」を録音している。それから実に延々とこの番組は続いている。おそらく演芸放送連続番組としては、これが最長期にわたるものであろう。
 また、昭和29年(1954)12月25日、柳家金語楼氏と両人で第一回「こんにゃく問答」をNHKから放送した。この番組もずいぶん長く続いた。途中で「こんにゃく談義」と名称が変わったが、満6年と4か月、この間二人とも一回も休演しなかったのである。
 第一回はご隠居も、八ッつぁんも背広の洋服で、イス、テーブルでやってのけた。どうも、セビロじゃ感じが出ないというので、第二回からは二人とも和服となった。二人の出演者で二人とも6か年以上一回すら休みなしということは、ちょっと記録的なのではあるまいか?しかもあの番組は、局の都合で2回ほどVTRであったが、あとは全部ナマなのである。ときには金語楼氏の撮影で京都だの、宝塚だのに出張中のことも再々あった。その時は、私はAKスタジオから、彼はBKスタジオから、つまり二元放送でやってのけた。

とくがわ むせい
徳川 夢声
徳川 夢声
1930年代
本名 福原 駿雄(ふくはら としお)
生年月日 (1894-04-13) 1894年4月13日
没年月日 (1971-08-01) 1971年8月1日(77歳没)
出生地 日本の旗日本島根県益田市
職業 活動弁士漫談家作家俳優
ジャンル 映画
活動期間 1913年 - 1971年
受賞
芸術祭賞(1951年)
菊池寛賞(1955年)
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徳川 夢声(とくがわ むせい、1894年4月13日 - 1971年8月1日)は、日本の弁士漫談家作家俳優ラジオテレビ番組などをはじめ、多方面で活動した日本の元祖マルチタレントとも言える人物である。本名は福原駿雄(ふくはら としお)。「彼氏」「恐妻家」の造語でも知られる。日本放送芸能家協会(現・日本俳優連合)初代理事長。

いわゆる「3つの袋」と言われる、結婚式のスピーチで定番の起源を作った人ではないかと言われているが、その真相は不明である。

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