掲載時肩書 | 作家 |
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掲載期間 | 1971/03/01〜1971/03/26 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1899/10/01 |
掲載回数 | 26 回 |
執筆時年齢 | 72 歳 |
最終学歴 | 専門学校 |
学歴その他 | |
入社 | 質屋 |
配偶者 | |
主な仕事 | 警察給仕、通信士、小説、戯曲、脚本 講談、文士劇(父帰る)、おいらん |
恩師 | 万太郎 小山内薫 |
人脈 | 菊池寛、谷崎、岩田専太郎、章太郎 |
備考 | 徳川落胤 |
川口 松太郎(かわぐち まつたろう、1899年(明治32年)10月1日 - 1985年(昭和60年)6月9日)は、日本の小説家、劇作家。本名松田松一とする資料もある[1]。東京市浅草区生まれ。芸道物、明治物、時代物、現代風俗物と広く執筆。巧みな筋立てと独自の話術で庶民情緒を描いた大衆小説で多くの読者を獲得した。また、松田昌一の名で映画・演劇脚本も手がけ、大映専務などを務めた。特に、新生新派の主事として自作小説の脚色や演出を担当、昭和期の新派に欠かせない人気作家となり、作品の多くは新派の代表的演目となった。第1回直木賞受賞者で、映画化され大流行した『愛染かつら』の作者としても知られる。芸術院会員。文化功労者。
川口 松太郎 | |
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1954年 | |
誕生 | 松田 松一 1899年10月1日 東京市浅草区浅草今戸町 |
死没 | 1985年6月9日(85歳没) |
言語 | 日本語 |
国籍 | ![]() |
最終学歴 | 石浜小学校卒 |
ジャンル | 小説、戯曲 |
代表作 | 『鶴八鶴次郎』(1936年,のち劇化) 『明治一代女』(1936年,のち劇化) 『愛染かつら』(1942年) 『新吾十番勝負』(1957-59年) 『しぐれ茶屋おりく』(1969年) |
主な受賞歴 | 第1回直木三十五賞(1935年) 毎日演劇賞(1959年) 菊池寛賞(1963年) 吉川英治文学賞(1969年) 文化功労者(1973年) |
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後妻は女優の三益愛子。三益との子は俳優の川口浩(長男)、川口恒(次男)、川口厚(三男)[2]、元女優で陶芸家の川口晶(国重晶)(長女)。