大橋光夫 おおはし みつお

電機

掲載時肩書昭和電工最高顧問
掲載期間2017/02/01〜2017/01/28
出身地東京都
生年月日1936/01/18
掲載回数
執筆時年齢81 歳
最終学歴
慶應大学
学歴その他教育大付属高
入社三井銀行
配偶者浜口首相娘
主な仕事昭和電工、米国駐在、事業再編、業界再編、台湾交流、
恩師安西正夫
人脈森矗昶娘、鈴木治雄(仲人)、
備考父・武夫
論評

昭和電工からこの「履歴書」登場は安西正夫(1970)、鈴木治雄(1989)に次いで3人目である。氏は華麗な閨閥を持つ。父は政治家・大橋武夫であり、母は元首相の浜口雄幸の娘であった。兄・宗夫は東大、大蔵省の経歴で妻は安西正夫の娘・千世であった関係から、三井銀行を辞め、昭和電工に入る。安西正夫社長の妻・満江は、昭和電工創業者の森矗昶(のぶてる)の長女だったので、この縁で氏は富士銀行頭取・岩佐凱実(よしざね)娘だった清子と見合い結婚をする。この家族の系図を見ると政界、官界、財界に網の目のように拡がり、華麗なる一族となっている。
昭和電工は1908年、当時の豊富な水力発電を電気化学に活かそうと後に炎の事業家と呼ばれた森矗昶が創業した。石油から生まれる化学製品は市民生活の随所に使われる製品として愛用されているが、氏はこの会社を総花的な化学会社から個性派化学会社に事業再編した功績をもつ。その石油会社の仕組みは、原油を精製したナフサや天然ガスに含まれるエタンなどの原料からエチレン、プロピレン、ベンゼンといった基礎製品を作る。それをプラスチックや合成の繊維やゴム、塗料などの最終製品にするという。しかし、石油精製の化学会社は、得意分野は様々なのに、各グループが無秩序に参入し、総花的な品揃えで激しく競争していたのだった。
そこで氏が専務になったとき、自社が得意分野を強化する選択と集中をおこなった。それは自社と他社の双方が有利な分野では規模の利益を追求できる事業交換や事業統合をはかった。これらが引き金となり、94年に三井化学、97年に三菱化学が発足し、業界再編の波が起き始めた。そして社長になると、「業界団体があまりにも多過ぎる。統廃合が必要だ」発言し実行する。そのときの昭和電工も有機、無機化学からアルミ、電子材料まで扱う総花的石油化学会社だったので、関係している団体は百数十を数えていた。そこで所属する関係団体の会長に就任すると、肥料団体、アンモニア協会、化成肥料協会、石油化学工業協会、日本化学工業協会などの統合や、統合模索を行った。中国の化学会社の存在が大きくなっている現在、日本の化学メーカーが世界で競える存在となり続けるには大再編が欠かせない。日本の化学業界首位の三菱ケミカルホールディングスですら売上高3兆円(世界最大のダウ・ケミカルは売上70兆円)規模では研究開発への大胆な投資が望めないと危機感を持って説いている。

左が大橋光夫。右は廖了以

大橋 光夫(おおはし みつお、1936年1月18日 - )は、日本実業家昭和電工最高顧問。同社元社長、会長。公益財団法人日本台湾交流協会会長。慶應義塾評議員国民政治協会会長

父は政治家労相運輸相を務めた大橋武夫、祖父は元首相の濱口雄幸富士銀行元頭取の岩佐凱実は義父[1]

  1. ^ “私の履歴書 大橋光夫(9)”. 日本経済新聞. (2017年2月9日). https://www.nikkei.com/article/DGKKZO12672880Y7A200C1BC8000/ 2018年6月2日閲覧。 
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