吉田玉男 よしだ たまお

映画演劇

掲載時肩書文楽人形遣い
掲載期間1991/09/01〜1991/09/30
出身地大阪府
生年月日1919/01/07
掲載回数29 回
執筆時年齢72 歳
最終学歴
小学校
学歴その他
入社朝日工業社
配偶者2歳上 職場結婚
主な仕事兵隊(5年5月)、足(7年)、左(20数年)、赤毛もの、海外公演、財団文楽協会(国・大阪府・市・NHK)、
恩師吉田玉次郎
人脈玉市(兄弟子)、太夫紋下(筆頭の意)、 白井松次郎、大谷松次郎、文五郎師匠、文楽(人形遣い、義太夫、三味線)、
備考一般に(足遣い10、左遣い10年)
論評

1919年1月7日 – 2006年9月24日)は大阪生まれ。文楽人形浄瑠璃の人形遣い。立役(男役)。戦中二度出征。戦後『曽根崎心中』の徳兵衛役が当たり役となり、生涯で1136回務めた。抑制の効いた、理知的な動きの中に、秘めた情感や品良き色香を表現し、その技は最高峰と謳われた。厳しい修業で2度飛び出す。

1.新米弟子
この一日は、雑用で明け暮れる。幕の開く一時間前に楽屋入りして、長火鉢の周りを片付け、師匠の湯飲み茶わんを洗い、昨夜使った襦袢や黒衣をきれいにたたんで、夜の公演の用意をする。
 来客があったり、師匠の着付け手伝ったり、たった四畳の楽屋に、仕事は山ほどころがっている。が、これは序の口、トーザイと舞台から口上が聞こえてくると、「小幕開け」「草履運び」「かいしゃく」、新米弟子の三大仕事ともいうべき修羅場が待ち受けている。
 「小幕」は、舞台の両袖に垂らした黒い幕で、人形の出入りのたびに開け閉めする。その手順とタイミングを覚えるのが苦労である。「草履運び」はもっとややこしい。一つの人形を三人で遣う文楽の舞台は、船底といって、客席に近い前の部分をやく一尺二寸(40cm)の深さで堀り込んである。足遣いの姿を隠すための工夫で、主遣いだけが高さ五寸五分から一尺二寸(約20~40cm)の舞台下駄を履いて一段高くなる。この先輩たちの下駄を並べ、草履を揃えるのが新米の仕事だ。「かいしゃく」は歌舞伎でいう後見のことである。刀や扇子、つえ、包丁などの小道具を左遣いに渡したり、受け取ったりする仕事で、これも一瞬遅れれば芝居は命取りにもなりかねない。いずれも、芝居の段取りや、間、役の性根を体で知る修行のイロハだ。

2.足遣い
人形の足の動きの基本は、立つ・座る・歩く。男に女、若いの、年いったの、幼いのと、それぞれに違いがあるから、この基本動作だけでも、25通りのくらいの動かし方になる。
 また、六法、壁塗り、カンヌキ、樋口、わらじ、韋駄天、団七走りと、特別の呼び名の付いたパターン化した動きが20ほどあって、手と足が連動した一連の型を覚えていくのが、足遣い修業の基本である。
 次にどういう動きをしたらよいのか、足遣いは、主遣いの腰にぴたりと付けた右腕でそれを感じ取る。腰のひねり具合で、動きの流れがわかるのである。それにもひとつ、人形の頭の後ろから発する合図、私たちが「頭(ズ)」と呼ぶサインも重要だ。義太夫をききながらここを見ていると、人形がいまどちらを向いて、どんな表情をしているかがわかる。侍をねじ伏せ、カッと睨みつけたのなら、足遣いは続いて足を出し、その侍を踏みつけにする、いった具合である。わずかなズレでも主遣いの師匠から、下駄で蹴飛ばされる。

3.文楽の分裂を再合同
文楽が2つに分裂したのは昭和23年秋(1948)でした。GHQの指導で組合を作ることになったのですが、松竹との関係で組合に参加・不参加で結局は分裂となりました。組合派は桐竹紋十郎さんたちが三和会を、脱退派は文五郎師匠や私たちが因会を立ち上げました。しかし、テレビの隆盛で映画も劇場も客足は急激に遠のき、公演するたびに赤字を出す状態でした。こんな昭和37年(1962)の暮れ、NHKの芸能部長だった佐々木英之助さんから、「松竹が文楽を手放します。財団法人をつくり、それが運営を引き継ぎますが、つきましては両派合同してもらえますか」の要請がありました。
 「これはもう合同しかないな」。竹本綱太夫さんが口火を切り、私たちも異論はなく、賛同した。結局、国と大阪府、大阪市、NHKが基金を出し合い、38年(1963)4月、財団法人文楽協会が発足した。技芸員と呼ばれるようになった芸人は、太夫21人、三味線22人、人形遣い32人の合わせて75人である。
文楽座の舞台で、松竹の大谷竹次郎会長から、人形の首、衣装、小道具一式が協会に贈られ、いよいよ明日から新生文楽の初興業が始まります。分裂時代は14年半に及んだことになります。

吉田玉男(よしだ たまお)は、人形浄瑠璃の人形遣いの名跡。これまでに2人存在した。

  1. 初代吉田玉男1919年 - 2006年
  2. 2代目吉田玉男1953年 - )
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