利根川進 とねがわ すすむ

医療

掲載時肩書分子生物学者
掲載期間2013/10/01〜2013/10/31
出身地愛知県
生年月日1939/09/05
掲載回数30 回
執筆時年齢74 歳
最終学歴
京都大学
学歴その他日比谷
入社京大院生
配偶者NHKディレクター
主な仕事院生でカルフォルニア大学留学、スイスbazel,「免疫多様性発現」、分子免疫学、MIT教授、脳(学習と記憶)、沖縄科学技術大学院、
恩師・恩人渡邊格教授、由良隆教授
人脈野依良治、伊藤正男、ボナー教授、林多紀、ダルベッコ教授、スタインバーグ教授、尾身幸次、
備考フルブライト学生
論評

氏は「私の履歴書」に登場したノーベル受賞者の8人目になる。掲載の早い順に福井謙一(1983.3・量子力学)、小柴昌俊(2003.2・ニュートリノ)、江崎玲於奈(2007.1・半導体)、野依良治(2008.9・キラル触媒)、益川敏英(2009.1・素粒子物理学)、下村脩(2010.7・緑色蛍光タンパク質)、根岸英一(2012.10・クロスカップリング)である。が、他の受賞者の湯川秀樹、朝永振一郎、川端康成、大江健三郎、佐藤栄作、南部陽一郎などは何故か出ていない。

1.卒論なしで京大卒業
卒業まで3、4ケ月と差し迫った頃、指導教官の田中正三教授に呼び出された。「君は卒業論文用に何をやっているのか」と。生物化学で論文を書くつもりは毛頭なく実験もしていないから、ヤバいと思いました、田中先生は温顔で「仕方がない。みんなの前でいま君が勉強していることを説明しない。それを卒業論文の代わりにしよう」と提案してくれた。
 私もこれ幸いと準備して、例の「オペロン説」を中心に、分子生物学最新動向を解説した。1時間の予定だったが、3時間ほど話をして、卒業を認めてもらいました。後に私がノーベル賞を受賞したとき、新聞記者が京大の図書館に行って「学生時代にどんな研究をしていたのか」と、卒論を調べようとしたら、どこを調べても出てこなかった」、と。

2.ノーベル賞受賞「抗体の多様性」の特定
 ノーベル賞受賞の対象となった「抗体の多様性」は、異物に対抗する「抗体」の仕組みに「生物細胞系列説」と「体細胞変異説」の2つの仮設があった。それをそれまでの免疫学に分子生物学の手法を応用することで「体細胞変異説が正しい」と結論付けた。
その過程は、70年代の後わり、まだソーク研究所のダルベッコ研究室にいた頃に聞いた「制限酵素」を抗体遺伝子にうまく利用すれば、体細胞変異説を直接証明できるのではないかと思いついた。
データを積み重ね、結果が次第に明らかになってきた。それは、抗体を作るミエローマ細胞では、ゲノムの中で抗体遺伝子の配置に再構成が起っており、それによって免疫の多様性が生み出されているという「体細胞変異説」の正しさを直接証明するものでした。
さらに、当時まだ発表されたばかりの遺伝子クローニング法を始めて真核細胞の特定の遺伝子(この場合は抗体遺伝子)に応用して、再構成が起る以前と以後の抗体遺伝子を同定しました。この研究の最初の論文を1976年に発表しました。

3.日本と米国大学との研究水準の違い
日本では大学の序列がピラミッド型に決まっている点が問題です。しかいわゆる「上位」にいると思い込んでいる大学ほど、優秀な学生を他の大学に出したり外の優秀な学生を採用する意欲が低くなっています。
 米国の大学はピラミッド型ではなく、台形のような構造です。トップの10校くらいは特徴に違いはあっても研究水準に差はなく、教授から学生まで研究者は非常に流動的です。日本ではいわゆる上位の大学から外れると、本人も周囲も何か都落ちするような思いにとらわれる様ですが、米国では、そういう雰囲気が軽いようです。
 例えばマサチューセッツ工科大学(MIT)でテニュア(終身雇用資格)を得られず別の大学に移籍しても、それはMITの評価がおかしいのだと周囲は支援するし、本人も奮起して大きな発見に繋がることが往々にしてあります。単なる「名前」や「見かけ」に振り回されず、「実質」ないし「実力」を尊ぶ米国の文化が、科学研究の成功に大きく貢献していると思います。

4.脳の研究「記憶の間違い」
MIT教授に就いてからは、主に脳機能を解明する研究に力を注いでいます。脳は宇宙と並んで、学問の中で最後まで取り残された大きなミステリーです。ヒトの脳は高度に進化し、他の生物とは一線を画しており、脳を研究することは、つまり「人間とは何か」を突き止めることに繋がる。そしてこの研究は、自然科学の中でも、物理や化学、数学、生物学など様々な分野にわたっているし、哲学や心理学、芸術のような人文科学や情報科学、経済学、社会科学などにも大きな影響を与える学際的な学問です。
私は、マウスの脳の研究で「記憶の間違い」を証明しました。そして1913年の「サイエンス」誌に発表した。記憶と言うものがいかに不確実で頼りにならないかを脳内機構にまで掘り下げて証明したことになります。
それは、過去に起こった出来事を思い出すとき、人間の脳は断片的な記憶を集めて再構成するが、その際、一部を変化させてしまうことが往々にしてあります。例として米国で目撃者または被害者の重要な証拠証言で長期投獄された250人のうち、約75%がその後導入さえたDNA鑑定で無実であることが判明しました。
間違った記憶は本人にとっては正しいと記憶しているのですから、必ずしもウソの証言をしているわけではない点が問題です。例えば、強く記憶に残っているような出来事を思い出しながら、何か別のことをしていると、その両者が記憶の中で結びついてしまうことが時には起こるのです。
人間の脳細胞は、その時その時の外界からの刺激と直接かかわりなく、ため込んだ過去の出来事の記憶を基に常に活発な活動をしています。そのため、過去の出来事と関係ない現在の出来事が結びついてしまって、新しい経験が創造されてしまうことがあるのではないかと考えています。

利根川 進
MIT在籍初期
生誕 (1939-09-05) 1939年9月5日(84歳)
日本の旗 日本愛知県名古屋市
居住 日本の旗 日本
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
スイスの旗 スイス
国籍 日本の旗 日本
研究分野 分子生物学
研究機関 京都大学
カリフォルニア大学サンディエゴ校
ソーク研究所
バーゼル免疫学研究所
マサチューセッツ工科大学
理化学研究所脳科学総合研究センター
出身校 京都大学
カリフォルニア大学サンディエゴ校
博士課程
指導教員
Professor Masaki Hayashi
主な業績 V(D)J遺伝子再構成による抗体生成の遺伝的原理の解明
影響を
与えた人物
坂野仁
主な受賞歴 ルイザ・グロス・ホロウィッツ賞(1982年)
ガードナー国際賞(1983年)
ロベルト・コッホ賞(1986年)
ノーベル生理学・医学賞(1987年)
アルバート・ラスカー基礎医学研究賞(1987年)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1987年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明
ラスカー賞受賞者
受賞年: 1987年
受賞部門: アルバート・ラスカー基礎医学研究賞
受賞理由: For brilliantly demonstrating that the DNA responsible for antibody production is routinely reshuffled to create new genes during the lifetime of an individual[1]

利根川 進(とねがわ すすむ、1939年昭和14年〉9月5日 - )は、日本生物学者マサチューセッツ工科大学教授(生物学科、脳・認知科学科)、ハワード・ヒューズ医学研究所研究員、理化学研究所脳科学総合研究センターセンター長、理研-MIT神経回路遺伝学研究センター長。京都大学名誉博士。学位はPh.D.カリフォルニア大学サンディエゴ校)。

1987年V(D)J遺伝子再構成による抗体生成の遺伝的原理の解明によりノーベル生理学・医学賞を受賞した。分子生物学免疫学にそのバックグラウンドを持つが、近年は、脳科学神経科学にもその関心を広げ[2]Cre-loxPシステムを用いたノックアウトマウスの行動解析等による研究で成功を収めている。

  1. ^ "1987 Basic Medical Research Award". LASKER FOUNDATION. 2009-11-4閲覧。
  2. ^ 利根川氏「記憶操る手法確立」 脳研究の先端を語る日本経済新聞電子版2015年6月29日
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