倉本聰 くらもと そう

文芸

掲載時肩書脚本家
掲載期間2015/08/01〜2015/08/31
出身地東京都
生年月日1934/12/31
掲載回数
執筆時年齢81 歳
最終学歴
東京大学
学歴その他
入社ニッポン放送
配偶者劇団仲間
主な仕事脚本、日活、NHK「勝海舟」、北海道移住、「北の国から」、富良野塾(26年、380人卒)
恩師・恩人
人脈麻布(フランキー、小沢、中谷昇)、ターキー、北島三郎、八千草薫、大江健三郎(東大同)、勝・新、田中邦衛
備考両親クリスチャン、
論評

この「履歴書」に登場した映画監督、脚本家は衣笠貞之助、木下恵介、市川崑、山田洋次、今村昌平、篠田正浩、新藤兼人と倉本聰の8人である。氏は主にテレビ番組で多大の業績を残した。氏はNHKテレビの大河ドラマ「勝海舟」の脚本を手がけ、主役の交代(渡哲也から松方弘樹)に自ら出演交渉を行ったり、演出家とのトラブルによる週刊誌誤解などが重なり、嫌気がさして北海道に逃避した。半分ヤケになり、毎晩飲み歩いたが、次第に北海道の厳しい自然とそこで暮らす人の人情の厚さに癒されていった。ここで悟ったのは、知識ではなく知恵で生きることだった。目からうろこが落ちる体験を何度もした。
そしてここには高度経済成長時代を経て構造転換の大波の中で衰退し、やがて見捨てられた残骸が沢山あった。山の廃屋、海の廃屋、農村の廃屋の他、炭鉱、山林業、水産業、農業など、かっての日本の繁栄を支えた人たちがいた。これら廃屋に泊り込み、人たちと接することにより、これを原点に構想を膨らませるとシナリオが生まれた。地元の人たちの熱心・多大なロケ支援もあり、これがテレビで大反響を呼んだ「北の国から」だった。
氏の業績として特筆できるのは、テレビ用のシナリオライターと俳優志望の若者を集めて働きながら学ぶ「富良野塾」を開設させたことだ。映画や歌舞伎には人財育成があるのにテレビにはこのシステムがない。「若者は金がないから入塾料、受講料、生活費は一切なし」。夏場の農作業で全員が稼ぎ、住まいや学習の場も自分たちで造った。管理棟、稽古場、作業場、マキ小屋の他、レストラン棟、宿舎、サイロ棟、乗馬訓練用の馬小屋などもだ。ここでは知識ではなく知恵で生きることを学び演技に生かすのを信条とした。2014年4月4日、富良野塾は幕を閉じた。447人を受け入れ、卒業したのは380人。そのうちライターや役者をしているのは三分の一だと書いている。

倉本 聰
プロフィール
本名 山谷 馨
誕生日 (1934-12-31) 1934年12月31日(86歳)
出身地 日本の旗 日本東京都渋谷区
主な作品
テレビドラマあなただけ今晩は
前略おふくろ様』シリーズ
たとえば、愛
さよならお竜さん
ライスカレー
優しい時間
風のガーデン
やすらぎの郷
受賞
受賞歴参照
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倉本 聰(くらもと そう、1934年12月31日[注 1] - )は、日本脚本家劇作家演出家。本名、山谷馨。東京都渋谷区出身。東京大学文学部美学科卒業。妻は女優の平木久子演劇集団 円所属)。父は俳人・日新書院取締役の山谷太郎。祖父は医学博士・日新医学社社長の山谷徳治郎。大伯父は衆議院議員の山谷虎三

ニッポン放送を経てフリー。映画からテレビドラマの脚本にも進出。『前略おふくろ様』『北の国から』など多くのヒット作を生み出し、多数の賞を受けた。1977年からは富良野を拠点に活動。

  1. ^ エッセイ集『北の動物園』(扶桑社、2004年)「生年月日」の章を参照 72頁


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