掲載時肩書 | キリンビール相談役 |
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掲載期間 | 2005/09/01〜2005/09/30 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1936/02/07 |
掲載回数 | |
執筆時年齢 | 69 歳 |
最終学歴 | 早稲田大学 |
学歴その他 | |
入社 | キリンビール |
配偶者 | コカ社内 結婚 |
主な仕事 | 経理部、近畿コカ、不動産事業、総会屋 、ライオン(ニュージ)、サンミゲル(比)出資 |
恩師 | 佐藤保三 郎上司 |
人脈 | 下垣内洋一(高)、前田仁(一番絞り)、 63.8%(76)>44.8%(96) |
備考 | ハート |
氏は20年1月24日、83歳で亡くなった。「私の履歴書」に登場は05年9月で69歳の時でした。
この連載とき、私(吉田)が印象深く読んだ箇所は2つありました。
不祥事:氏が株主総会運営を含む総務担当役員になった時、商法違反事件(総会屋に利益供与)があり、被告となった4人の社員と元社員が裁判にかけられた。3回目の公判で担当役員として氏も証言台に立つことになった。
「開廷前、やはり証言のために訪れた4人の奥さんと控室で一緒になる。口々に『家に無言電話が多くて、怖くて布団をかぶせているの』『ウチもそうだわ』と話すのを聞き、二度とこういう事件を起こしてはならないと痛感した。裁判長に『家庭ではどんなご主人ですか』と質問された奥さんたちは皆、答えながら泣き崩れた。最後に被告の社員が一人ずつ現れる。そして、社員らが『自分の一存でやった。浅はかだった』と述べるのを聞き、傍聴席に残っていた私の目にも涙が込み上げてきた。経営陣の責任の重さを感じた」とある。 日本経済新聞 2005.9.21
私(吉田)もこの当時、総務部に所属し株主総会も担当していたので総会屋への利益供与事件で被告となった他社の友人が沢山いました。同じような境遇でもあったため、深い同情と涙なくして読めない記事でした。
悔し涙:氏は1996年に社長に就任したが、ビールの販売苦戦は続いていた。総会事件、雑菌混入事故による企業イメージの低下が続いた。そして1970年代にビールシェアが6割を超えていたキリンだったが、アサヒのスパードライに抜かれ4割近くにまで低迷した。そんなとき、
「商品開発担当の女性社員が一人で社長室にやってきた。彼女は『アサヒに負けて本当に悔しいなら、ここで泣いてください』と私に訴え、自ら泣き出してしまった。営業の応援に行く彼女を見送りながら、この会社にはまだ救いがあると思った。」 日本経済新聞 2005.9.23