リー・クワンユー くわんゆー りー

政治

掲載時肩書シンガポール上級相
掲載期間1999/01/01〜1999/01/31
出身地シンガポール
生年月日1923/09/16
掲載回数
執筆時年齢76 歳
最終学歴
英国ケンブリッジ大学
学歴その他ラッフル カレッジ
入社弁護士 事務所
配偶者弁護士 ・同級
主な仕事英国から独立、首相(35)、マラヤと統合、マレーシア から独立、マスコミ規制、エリート養成、罰則の必要性、
恩師
人脈ラーマン、スカルノ、スハルト、ナセル 、マルコス、
備考
追悼

氏は、’15年3月23日91歳で亡くなった。「履歴書」に登場したのは1999年1月で76歳のときであった。アジアでここに登場したのは、マハティール(マレーシア)、孫平化(中国)、スハルト(インドネシア)、リー・クワンユー、ラモス(フィリピン)、ラタン・タタ(インド)の順で6名である。

氏は、59年に英連邦自治州の首相に35歳で就任し、65年にマレーシアから独立後も25年にわたり首相を務め、「建国の父」と呼ばれた。他の東南アジアの諸国に先駆けて「工業・貿易立国」を掲げ、空港、港湾、工業団地などインフラ整備を進めた。税制優遇などを通じて外資の誘致を進め、東京23区ほどの面積の小国を外国企業が集積するアジア有数のビジネス拠点に育てた。内政では多民族で構成する社会の安定に力を注いだ。与党の事実上の一党支配、言論の制限(マスコミ統制)、ムチウチの厳罰など強権的手法も用いて統治した。海外から「非民主的」とも批判されたが「小国にとって内政の安定は極めて重要」と反論した。この論理は大国だが今の中国政権に当てはまる。

面白かったのは、氏の「履歴書」にはマレーシアのラーマン首相やスカルノ、スハルト、マルコスなどASEAN首脳陣の名前は頻繁に出てくるのであるが、マハティール首相の名前は出てこなかった。シンガポールがマレーシアに統合されたあと、議会では「マレー人優先政策」を提唱するマハティールと「中国人・インド人も優遇する」クワンユーは対立する論敵となっていた。これがもとでシンガポールは追放される形で独立することになる。マハティールは東京での国際会議の晩餐会でクワンユーと隣り合わせになったのには苦笑したと書いている。よほど両者はライバル意識を持っていたように思える。クワンユーの方が、彼より2歳年上なのでプライドが高かったのだろうか?

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