日本経営の長所と提言

 ガルビンは、父親から継いだラジオやハンディトークの携帯電話、テレビ受像機やトランジスタ(半導体)事業でモトローラを大きく飛躍させた。また、平成6年(1994)の日米携帯電話摩擦でも、問題解決に多大な貢献をした人物である。
大正11年(1922)、アメリカシカゴに生まれたガルビンは、昭和14年(1939)に高校卒業後、父親が創業したモトローラに入社し、大学にも行くが2年で中退して仕事に専念する。
 昭和15年(1940)代から50年代にかけ、ラジオやハンディトークの携帯電話、テレビ受像機などの進出で大躍進を遂げる。昭和29年(1954)に34歳で社長となる。
 昭和35年(1960)から東京に事務所を構え、日本との取引を本格化させて市場開拓に取り組み始めたが、なかなか成果は上がらなかった。
日本に進出後の20年のあいだに、テレビ事業は優秀な日本の技術に席巻され、アメリカ市場は壊滅的な打撃を受けていた。このため、閉鎖的な日本市場と市場開放しているアメリカとのあいだで日米摩擦が起こり、いち早く日本市場の開拓に取組んでいた彼が、仲介の労をとることとなった。
 ガルビンは政府間交渉だけでなく、産業間協議を提案、共同議長としてソニーの盛田昭夫と問題解決に奔走し、一定の成果を収めた。
続いて彼はソ連(現:ロシア)や中国など外国との販路開拓にも成功し、モトローラの躍進に貢献した。ガルビンは欧米と日本経営の違いを述べ、日本人への友情から次のように正直な経営助言をしてくれている。
「米企業経営の問題は証券アナリストの力が強すぎることだ。経営の過ちをチェックする機能は否定しないが、総じて言えばマイナスのほうが多い。経営者とは評論家のご託宣を実行に移す人ではない。偉大な経営者は、最終的には自分の考えを実行する。(中略)
 米国の流動性の高さを一時の気の迷いで賞賛してはならないと思う。組織への忠誠心や律儀さは日本の欠点ではなく長所なのだ。問題は、個人では高い能力を持ちながら、沸きあがる情熱を閉じ込めている人が多いことだ。社会全体が個人の潜在能力を抑えつけているのではないか。その結果の閉そく感だとしたら、日本のみならず世界にとって損失だ。
 米国人は物事をヅケヅケと言い過ぎる癖がある。気分を害されたこともあるだろうが、日本と半世紀にわたり付き合ってきた男の友情からだと思って、許していただきたい」(「日本経済新聞」2000.6.30)
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 証券アナリストは、どちらかというと株主側に立ち、企業の短期的な利益動向に注目し、論評しますが、経営者は長期的な視点で消費者ニーズや市場動向の変化、需要の創造などに対応した経営を行ないます。
 しかし、カルビンから見ると日本の経営者はアナリストの企業レポートに振り回されているように見えるのでしょう。また、日本人があまり評価していない組織の忠誠心や律義さを長所として認識して、個人の潜在能力を発揮させるべきだと助言してくれています。
 これは、社員の組織的行動が個人の潜在能力発揮を阻害していると見ているのかもしれません。