私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

天風先生は忍者の記憶術

へぇー、工芸家や建築家、芸術家はこんなに抜群の記憶力が良いのかと感心した事例がありました。

松田権六(漆芸家:1896(M29年) – 1986(S61年)) 掲載時84歳:1980.2.1~3.2
日本の蒔絵師。人間国宝。文化勲章受章者。石川県金沢市生まれ。7歳で蒔絵の修業を始める。石川県立工業学校漆工科、東京美術学校漆工科を経て1943年(昭和17年) 東京美術学校教授に就任、以後36年間そこで教鞭を取る。1947年(昭和22年)日本芸術院会員となり、1955年(昭和30年)には人間国宝に認定される。漆工芸史に名を残す名匠として、「漆聖」とも称えられた。

松田がエジプト側の特別好意でクフ王の発掘物「太陽の船」を見せてもう機会があった。その際、エジプト国民にまだ披露していないから発表されると困るので、カメラ、メモ帳、スケッチブックなどを一切預けさせられた。彼は「私の履歴書」に次のように書いている。

ここでの見聞は興味深く感じ、説明中の数字は特に記憶し、船の構造、機能などしっかりと頭の中に刻み込んだ。ホテルに帰るとボーイに数枚の方眼紙、コンパス、三角定規など製図用具を頼んだ。夕方の4時ごろから縮尺を決めて方眼紙に太陽の船の縮尺図を描き始め、翌朝描き上げた。

ところが、同国の芸術局長・ヨーゼフ氏は、松田が約束を破り、禁じたスケッチをしたと激怒した。しかし、そうではなくて、頭の中の記憶に基づいて描いているので、時間を書ければもっと正確に何枚でも描けると弁明し、翌朝その通りの精密な縮尺図を見せたため、誤解は解けた。当時のフセイン副大統領は、「こんな人間は見たことがない。日本人がこんなに優秀とは知らなかった」と謝り、ホテル代一切がエジプト政府負担になり、あと4日で切れる滞在期間もその場で半年延長されることになったという。

松田はこの記憶術を中村天風師から学んだと「志るべ」に次のように書いている。

天風先生は軍事探偵なので、その任務の一つに敵情視察あります。その場合、鉛筆は勿論、写真機はいうに及ばず、スケッチさえも許されぬ状況の中で、瞬時に敵情をキャッチし、それを正確に報告されております。しかも敵中だけに命からがら逃げまわることも多々あったようです。この視察のポイントを先生の口から何回となく実感を伴って話していただいた。この記憶法を私は、これまで再三再四にわたって利用させていただいております。(天風会機関誌「志るべ」NO.175号)

 この記憶の会得法は、中村天風著「研心抄」第4章、第2節「官能啓発の実際習練法」に書かれている。そこには、聴覚、触覚を鋭敏にする方法を述べたのち、視覚の習練法に移る。「まず、後ろ向きに座って、他の人に十数個の品物(どんなものでもよい)を雑然と不規則に置かせて、よしっ!という掛け声とともにクルリと向きを変えてその品物を一瞬見て素早くまた後ろ向きになって、目に見えたそのままの品を何と何というようにする。もちろんこれも最初の間は並べられた品の何パーセント位かの僅かなものしか捕らえられないに違いないが、習練するに従い、次第にその全部を完全に一瞬で眼の底にはっきりと映し出されるようになれるものである」と。

 私はこの記憶法の実際を高校生の時、甲賀流忍者14代頭領の藤田西湖氏から見せてもらった。約1000人が集まる講堂で藤田氏から忍者に伝わる技術や能力を講演していただいたのだった。圧巻はこの記憶法で、藤田氏は目隠しをして壇上の前に立つ。その後ろには希望した生徒5人が黒板全体(縦5段、横20列)に数字をランダムに書き込んだ。そして藤田氏が「黒板全面に書き込みましたね。それでは、私が振り返って一瞬、その数字を見て、また目隠しをします」と言われた。そして氏は一瞬、数字を見たのち、目隠しをし直し前を向いて、後ろにある黒板の数字を「それでは、一番左上から順番に読み上げます。正しければその数字を消していってください」。最上段が済むと「次は最下段の右隅から読み上げます」と言い、だんだん数字を消して、最後の数字もいい当てられた。みんなはへぇーと感心するばかりであった。「忍者は聴覚、嗅覚、触覚、視覚を発達させ殿様などの上司に情報を正確に伝える任務を持つのです。現在でも範囲の決まっている試験ならこの記憶法ですべて満点が取れます」と言ってみんなを笑わせた。今、インターネットで調べると甲賀流頭領の藤田家は歴代、忍術で培った能力や技術を使って諜報活動に従事し、軍のスパイ養成所で指導に当たっていたようである。したがって、軍事探偵としての特殊訓練を受けた天風師が弟子の松田にこの記憶法を伝授したように思えるのです。


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