私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

大横綱は大酒豪 大鵬幸喜の場合

1940年樺太生まれ。二所ノ関部屋に入門し21歳8ケ月で第48代横綱に昇進。柏戸とともに「白鵬時代」を築く。1971年現役引退。一代年寄「大鵬」を襲名。2005年、相撲博物館長に就任。幕内優勝32回。

若い頃から大変な酒豪で、一日の酒量が一斗(18リットル・10升)に達し、ビールを大瓶633㏄で約57本(36リットル)飲んだこともあったといいます。
塩辛い物も好きで、酒のつまみに大ぶりの明太子を2腹も3腹も食べながら飲んだとか。
現役時代には同い年の親友(誕生日が9日違い)である王貞治と夜通し飲み明かしたこともあり、酔い潰れた王が一眠りして起きると、大鵬が変わらないペースで飲んでいたそうです。
しかしさすがに、その飲酒量が、後に健康を害した大きな原因とも言われています。
その彼は、酒量について次のように書いています。

「北海道巡業の帰り、秋田で栄太楼のおやじさんと飲んだ。その小国敬二郎さんは日本経済新聞の元秋田支局長。私は日本酒、おやじさんはビールでぐいぐいやったが、日本酒は帳場の黒板を見ると『正』の字が12以上あったという。意気投合してまぁ5升以上は飲んだろう」

 これもまた計算してみましょう。「5×12=60本(60合×80%=48合=約5升)……大鵬ひとり分」(お銚子:1合は8勺=0・8合と計算した)。
 この栄太楼のおやじさんは、のちに妻となる人の父親でした。このとき「正」の字が12以上「あったという」と書いていますが、この数字を彼に伝えたのはすなわち芳子夫人だったのだろうと思います。

さきの番付表には載っていませんが、大関小錦も半端ではありません。
大相撲解説者の舞の海は、彼が小錦と一緒に飲んだとき、3軒ハシゴしたそうですが、アルコール度数50%のウオッカをロックで、1軒につき1本空けて3軒まわったと証言しています。「ウイスキーは飲まないの?」と質問すると、「ウイスキーは水のようで酔わないから」と応えたそうです。さすがに舞の海も唖然としたとのこと。
やっぱり力士は並外れて酒が強い。

また、余談になりますが、前述の二子山勝治(初代若乃花)は昭和63年(約30年前)の「私の履歴書」掲載時に、将来の相撲界における日本人力士の弱体化を、次のように予言していました。

「今の日本人は経済的に恵まれて、私たちが相撲界で育ったころとは全然違う魂の抜けた日本人になってしまってはいないか。時代が人間そのものを甘くしてしまった。これほど生活が豊かになると何も自分の体をいじめて強くなる必要がなくなってしまうからだ。今と昔の力士の一番の違いは、弱いということ。体も弱い。意志も弱い。今は兄弟も少ないし、ある程度の金は入るし、食べ物の心配がない。苦労して上がっていくものが少なくなった。それが相撲界には大切なことなのだが、このままなら、日本人はみんな骨抜きになってコンニャクのような人間になってしまうような気がしてならない」

 この予言が的中して、その後、ハワイ、モンゴル、欧州、ロシアなどを母国とする有能な力士が続々と台頭し、最近約20年間、日本人力士が横綱に昇進できませんでした。
昔の栃錦、若乃花時代に持っていた相撲に取り組む真剣さ、ハングリー精神が、外国出身力士にはあるが、日本人力士には少なくなったと嘆かれていたのでした。
しかし、2017年1月場所に大関稀勢の里が横綱白鵬を倒し、14勝1敗で優勝して横綱に昇進しました。実に日本出身力士としては1998年5月場所後に横綱に昇進した若乃花勝(第66代、藤島部屋→二子山部屋)以来の19年ぶりの横綱昇進でした。
これを契機に、高安や遠藤、宇良のような若手日本人力士がどんどん台頭してきてほしいものです。


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