静岡県生まれ。1940年東京商大予科、学徒出陣、大竹海兵団に入隊。特攻隊員となるが出撃直前に敗戦。46年東京商大卒、兼松入社。80年に社長、会長。絵画、短歌などの趣味人。
*鈴木は昭和15年(1940)に東京商大予科に入学するが、予科生活2年半で「学年短縮」となり大学生となる。そして昭和18年(1943)海軍に入隊して広島県大竹、茨城県土浦、鹿児島県出水航空隊に転属し、猛烈な飛行訓練を受ける。そして、昭和20年(1945)4月特攻隊志願書に署名し、出撃の順番を待つ身となった。今日は自分の名前が呼ばれるか、今日はなかったから明日か?そんな運命の日を待つ毎日だった。そのときの心境と情景を次のように語っている。
毎夕、五時、翌朝発信の特攻隊編成表が発表される。白い巻紙が壁に張られる運命の一瞬、全員の目は釘づけとなる。異様な声が渦まき、隊内は騒然となる。指名された者の周りに人が集まるが、彼はじっとしてはおられない。残りの人生が一挙に凝縮されてしまったのだ。
やがて別れの盃が交わされる。灯火管制の暗幕がひかれた部屋の中で冷や酒を前において遺書を書き直す者、行李を開けて整理する者、伊藤はローソクに火をつけて、許婚者の写真を火にかざした。「もう一度見せろ」と言う戦友の声に答えず、写真はメラメラと燃え上がった。伊藤の目にはその炎が映っていた。
酒がまわると歌がでる。「同期の桜」がいつまでも続く、肩を組む者、手をつなぐ者、何人かの目には涙が光っている。やがて飛行場からエンジンを暖める暖機運転の音が響いてくる。夜明けが近く発進の時間が迫ったことを知らされる。
まだ世が明けきらぬ早朝、征く者、送る者全員が指揮所に集合する。冷たいアルミの湯飲みに冷や酒が注がれ乾盃をする。特攻隊整列の号令がかかる直前、ハプニングが起きた。出撃する石田がモジモジし始めた。彼は襟元から何かつまみ出した。「虱だ、つれて征くのも可哀そうだ、面倒見てくれ」。彼はそれを戦友の首筋に落とした。「じゃあ、征くぞ」。きりっとした顔から白い歯をのぞかせて敬礼すると、くるりと踵を返して去っていった。
緊張した出撃の一瞬にこのユーモアがあった。鈴木の鋭い観察眼と友への熱い友情と惜別の情がにじむ。それだけに戦争の非情さと残酷さが浮き彫りになった表現でした。
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