私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

出撃前夜

大正13年(1924)東京生まれ。昭和19年(1944)海軍経理学校入校。同22年(1947)東大卒、大蔵省入省。同54年(1979)大蔵事務次官。同57年(1982)日本専売公社総裁。同60年(1985)日本たばこ初代社長。同63年(1988)東証理事長、平成6年(1994)退任。

*長岡は昭和19年(1944)9月、築地の海軍経理学校の現役主計科士官に合格した。半年間で即席の海軍士官に養成されるのだから、訓練は相当に厳しかった。学業のほかカッター、相撲、駆け足などがあった。雪の日のカッター訓練は苦しかったが、食事の内容も日に日に悪くなっていったという。
 彼は昭和20年(1945)4月1日に愛知県明治村にある海軍航空基地に配属され、管理部門の中枢である文書課長兼秘書課長のような仕事に就いた。当時のやるせない気持ちを次のように記している。

六月一日、少尉に任官した。沖縄方面への特別攻撃隊がわが隊から出撃するようになっていた。私は帽子を目いっぱい振って見送った。帰還する飛行機は皆無だった。
特攻隊。出陣前夜は酒保からお酒の特配をした。副官部の私の部屋がある隊舎の隣の隊舎で、最後の宴が開かれている。初めは勇ましい軍歌、続いて酒席でよく歌うような流行歌が聞こえてくる。そして最後に、どの隊員も「雨々降れ降れ母さんが・・・」などと童謡を歌って灯が消えるのだった。(日本経済新聞2004.4.8)

最初は勇ましい軍歌、しかし最後の歌は、どの隊員も「雨々降れ降れ母さんが・・・」を歌ったという。特に「母さん・・」の言葉に心を込めて歌ったはずです。幼き日の思い出と感謝とお詫びが交錯して、きっと涙声になったことでしょう。このシーンを思い出すだけで胸にジーンときます。


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