私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

体重管理

 三宅は明治44年(1911)大阪府生まれで、昭和8年(1933)東京大学を卒業し、日銀に入行する。同42年(1967)大阪支店長を最後に退任し、東海銀行に転職。43(1968)年頭取、会長となり名古屋商工会議所会頭としても、名古屋・中京地区の国際化に貢献したが、蔵相、日銀総裁を歴任した井上準之助の娘婿でもある。
 三宅には姉が2人、妹が1人あった。1人いた弟は夭折したため、実質的には姉妹に囲まれた一人息子だった。また、生来からだが弱かったため、いっそう過保護に扱われた。そのせいか、彼は弱虫で内気で引っ込み思案で、あまり友達と遊ぶこともなく育った。
成長するにしたがい、こういった性格の欠点を自覚し始め、なんとかこれを直さなければと、座禅、冷水被り、電車の吊革ぶら下がりなど人知れずずいぶん試行錯誤を繰り返し、克己心で健康を得る。
 しかし、会長に就任したとき、心臓の欠陥が発見され、ペースメーカーを埋め込む手術を受ける。これにより体調は回復したが、それ以後、ペースメーカーで心臓を動かす体になったので、無理はきかなくなった。この状態での健康管理を次のように記している。
「毎週の心電図、月一回の血液および尿検査、さらに数ヶ月に一回のレントゲン検査等で微妙な変化もすぐわかる。私自身も毎日体重を量って太り過ぎないように注意している。私は中年以降かなり太り気味であったが、自分でこれではいけないと思い、徐々に体重を減らしてきて、約十年がかりでピークから十一キロ減らした。そして身長マイナス一○五ぐらいに達したので、その後はそのまま横ばいをつづけ今日にいたっている。
心臓がこのような次第であるので、運動には限界がある。走ったり力仕事をするとは禁じられている。私は毎朝起きると必ず寝床の上で約三十分間体操をする。これは何々健康法といわれるあらゆるものを参考にして、自分の心臓の負担にならない程度に、しかもあらゆる筋肉のすべてを動かすように、自分で工夫したものである」(『私の履歴書』経済人二十一巻 465p)
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 体重測定は、健康チェックに効力を発揮する簡便な方法です。
 私は毎日、朝夕と体重を測っていますが、夜に比べて朝は700gほど軽くなります。そのリズムをわかったうえで体重を記録していくと、カロリーオーバーや体調不良はすぐわかります。
 登場する経済人のなかには「一病息災」で持病と上手に付き合い、無病の人より長生きをしている方も多いようです。これは、自分の公的存在の責任も強く自覚しているため、健康管理に対する心構えが違っているからだと思いました。


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