私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

会長特別補佐制

 八城は、エッソ石油(現:エクソンモービル)社長を退任後、シティバンク・エヌ・エイ在日代表となり、平成9年(1997)にシティコープジャパン会長、同12年(2000)に新生銀行会長兼社長に就任するなど、石油と金融業界をグローバルな企業の視点で経営してきた人物である。
昭和4年(1929)東京都生まれの八城は、京都大学、東京大学大学院を経て木内信胤理事長の世界経済調査会に入り、ひととき調査活動に励むが、昭和33年(1958)にエッソ石油に勤めることになる。
 彼の大きな転機は、昭和48年(1973)の第1次石油危機が始まる直前の1年間、エクソン本社の会長特別補佐を経験したことであった。
 当時、中東湾岸諸国の油田国有化を受け、最高責任者として会社の危機に冷静に対応するケン・ジェイミソン会長の姿を身近に見ることができた。八城はそんな最高責任者の傍にいて、年間約100回も開催される取締役会に出席を許され、エクソンのトップの物の考え方、意思決定のプロセスを自然と会得することができた。
 取締役会は、本社の経営上の重要事項の決議のほか、関係子会社約10社のトップが翌年の事業計画と予算の承認を求める場でもあったからだ。会長の隣ですべてを聞くことは、八城にとってエクソンの将来の幹部としてのあり方を実地教育されているのと同じであった。
 このような制度は日本では見られないが、彼はその当時を振り返り、日米の違いをこう語っている。
「会社で起きたどんな悪いことでも知り得る立場に置き、それをトップがどう対処していくかを見せて、『君たちも帰国して社長になれば、ちゃんとやれよ』というわけだ。特別補佐は、ほとんど出身国の社長になり、私も七十三年夏に帰国して翌年六月、社長に就任した。(中略)
 この一年は私にとって、石油のみならず、企業経営への理解をも深めた年だった」(『私の履歴書』経済人三十三巻 131p)
          *          *
 日本は少子高齢化で人口が減少し、国内市場が縮小している現在、新興国を中心に市場開拓をしていかねばなりません。そのため、すでに海外に進出している一部の企業が英語を社内公用語にして、世界各国の優秀な学生を採用するようになりました。
そして本社で教育し、出身国の経営者に育てる工夫をしているのです。グローバル企業になるためには、欧米の幹部教育システムが参考になるでしょう。

 本章で紹介した「経営のヒント」を読んで思うことは、時代が変わっても経営の本質は変わらないということです。
 日本企業でもグローバル化が進み、企業の海外売上高が50%を超える自動車、工作機械、精密機械、家電業界などの業種も多くなり、必然的に外国人取締役も増えてきました。
 最近は少子高齢化で人口が減少し、国内市場が縮小しているため、中国など新興国を中心にコンビニや百貨店などの小売業と安全性を重視した食品業の進出が目立っています。
 しかし、いかにグローバル化が進んでも、この章で紹介した「経営のヒント」を読むかぎり、経営トップの経営理念の明確化と遂行、社内における優先順位づけ、幹部や後継者の育成などは重要です。
 それは、社内の経営資源(ヒト、モノ、カネ、技術、情報など)を、世界の各市場に適合させて展開する能力が求められているからなのです。


Posted

in

by

Tags:

Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です