事業選別の方法

ウェルチは、昭和56年(1981)に46歳で社員40万人の大企業のトップになると、ただちに大胆な事業再編を進め、発電、ジェットエンジン、医療機器、放送、金融サービスなど、戦略的に重要な部門を重視する総合企業に変身させた。
 社長就任当時はアジアからの脅威がヒタヒタと押し寄せ、ラジオ、カメラ、テレビ、鉄鋼、造船、そして自動車と次々に市場を奪われ始めていた。GEには家電製品など価格競争力の弱い部門がいくつもあったので、長期的に競争に勝てる見込みのない事業は撤退することに決めた。
なかでも82年半ばに従業員2300人を抱えるエアコン事業を業界トップの家電メーカーに売却したときは、GEでも大騒ぎになった。家電部門の主力工場で製造していたが、市場シェアが10%しかなく、利益率も低かった。
 特にエアコンは、取り付け業者の工事がいい加減だったり、委託業者のアフターサービスが不十分だったりで、苦情が直接GEに来ることが多かったからだ。この事業選別の具体策は、ウェルチの経験とピーター・ドラッガー理論との合一で生まれたものだが、ウェルチは当時を述懐して次のように語っている。

「ドラッガー氏には非常に厳しい質問を突きつけられた。『この事業をこれまでやっていないとしたら、今日これから新しく参入したいとおもうか』。答えがノーなら『では、この事業をどうする』だ。単純な質問だが、それだけ底の深い質問だ。私の答えは『直すか、売るか、閉じるか』の選択しかない。(中略)
 私はこの『一、二位』理論を説き続け、最初の二年間に七十一事業の生産ラインを売り、五億ドルの売却益を得た。どれも規模は小さいが、社内の意識を変える効果は大きかった」(「日本経済新聞」2001.10.23)
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 1980年代にウェルチが事業の「1、2位」理論を実践・断行し、GEを大躍進させました。
 1990年代には日本企業がバブル崩壊期に突入し、低迷していたため、この理論と「選択と集中」理論が日本でも大きく採用され、事業のリストラクチャリングを行なうことになります。
 ウェルチのこの理論は、全世界に大きな影響を与えることになったのです。