なぜ役者は花柳界にモテなければならないのか

 大阪府生まれ。子供の頃、知人に誘われて千日前常磐座に文楽を見に行ったのがきっかけで興味を持つ。1909年(明治42)、四代目吉田文五郎に弟子入り。女形から立役まで幅広くこなした。地方や小劇場、海外のカナダ、アメリカ、ヨーロッパまで公演に参加。世界に文楽を広めた。

 桐竹はその芸能人と花柳界の関係を次のように説明しています。

「ねんごろにしていた女性が8人ありました。大阪の南、北、堀江、新町、伊丹、京都、神戸、和歌山あたりの芸妓さんで、いずれもわりない仲でしたので、典侍の局の大役をやるについて、私はその8人をひとりひとりたずねて組(くみ)見(けん)の応援をたのんで歩いたのです。『師匠から無理やり譲ってもろた初めての大役や、これで評判が悪かったらやめんならん、のるかそるかのドタン場や、切符売ってこの蓑助を男にしてんか』(中略)ごひいき筋を売り歩いてくれ、8人で500枚もさばいてくれました。
襲名披露で連日300名の芸者連が客席に陣取って、黄色い声援を送ってくれました。この興行での私ひとりの観客動員数は2400人に達したのです」

 ああ、そうだったのか……。役者は人気商売。お客の来場数で芸の価値も評価される。それを考えると政界や官界、経済界の贔屓の客を多く持つ芸妓さんとは日頃から親しくしておいて損はありません。いざという時のため、日頃から各地の花街に通い、売れっ子芸妓と親しくなるのに必要な散財をしておくのは、仕事のように当たり前のことだったのです。
 役者は「若い時にお金を貯めてはダメだ、芸の修行のため散財しろ」と、彼は師匠や先輩からいわれたといいます。名人と呼ばれる人の舞台や映画を見て、至芸を盗んだという逸話もたくさんありますが、花柳界との付き合いも大いに「将来への投資」になるのでしょう。