投稿日
実業家。社名等にも関連して「新日本石油の生みの親」といわれる。日本石油副社長、日石三菱社長、新日本石油代表取締役社長・会長、JXホールディングス相談役。
渡は1960年に慶應義塾大学を卒業し、日本石油株式会社に入社する。最初の配属先が本社東京でなく新潟製油所だったので落胆が激しかった。経済学部を卒業だから、本社事務部門を希望していたので島流しに遭うようなイメージだった。しかし、環境が不満だからといって、嘆いても始まらない。いかに良い方向に変えていくかを考えたほうがいいと気を取り直し、せっかくだから製油所をくまなく理解してやろうと、自分でスイッチを前向きに切り替えた。
そして生産現場を見て回り、ヘルメットをかぶり、原油をガソリンや重油に分けるトッパー(常圧蒸留装置)に潜り込み、石油製品のできるまでを身をもって実地に学んだ。ここまでやった事務屋はまずいなかったという。これが営業現場に行った時のメリットで、商売で実際に役立った。具体的には、生産部門は急な注文が来るとたいてい「できない」と断るが、彼は段取りを変えれば「できるはず」提言し、重宝がられた。また、反対に「本当に無理」と判断した注文については、工程上、不可能な理由を具体的に説明して納期を延ばしてもらうことができたからだ。
得意先でのトラブルも炎天下で背広やワイシャツがぐちゃぐちゃになるのも構わず汗みどろで、3時間アスファルト除去作業をやっていると、この誠意を認めてくれたのか、店主は笑顔で「わかった。もういいよ」と言ってくれたそうだ。
現場を理解し商いの心を会得できたことは、2つの大きな財産となった。偶然選んだオイルマンの仕事がようやく板についてきた。
このときの「現場を理解する」と得意先との交流で「商いの心を得る」の2つの会得は、彼の大きな自信につながり、次のステップで大きく羽ばたく布石となった。そして後輩たちに次の言葉を贈っている。
実際の会社にがっかりする人も少なからず出るに違いない。でも、くよくよしななさんな。人生なんて初めから自分の思い通りにいくわけがない。壁を乗り越え切り開いていくところに面白み、醍醐味がある。深刻に見えても、気持ちを切り替えて前向きに臨めば、道は開ける。
彼は2000年6月、人事・労務畑や総務優位で販売出身はありえないとされていた日石にあって、初の販売部長からの社長に就任した。のち会長となる。2010年に新日本石油と新日鉱ホールディングスが統合して「JXホールディングス」が設立されると、相談役に退いた。彼の後輩たちへのエール「気持ちを切り替えて前向きに臨めば、道は開ける」は「履歴書」に登場する人たちに共通する贈り言葉だと思えます。