生年月日 | 1948年1月24日 | 私の履歴書 掲載日 | 2022年5月01日 |
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執筆時年齢 | 74 歳 |
マンガ家でこの「履歴書」に登場したのは、横山隆一(62歳:1971年12月)、田河水泡(89歳:1988年10月)、水木しげる(81歳:2003年8月)の3氏に次いで、里中氏(74歳)は4人目である。私の小学生時代は「サザエさん」「鉄腕アトム」「赤胴鈴之助」「巨人の星」「あしたのジョー」などに夢中になって読んだ記憶があります。高校や大学に入ってからは、せいぜい「ゴルゴ13」ぐらいでした。今回女流・里中氏の「漫画の世界」を読むことで、いろいろマンガに対する認識を新たにしました。
1.漫画の説得力
1972年に「週刊少女フレンド」で「あした輝く」の連載を始めた。ヒロインは満州から引き揚げてきたが、その途中で夫とはぐれ、流産して、同じころに生まれた恩師の子を大切に育てる。物語は戦後の子供たちの世代まで続く。連載は日中国交正常化と同じころで、編集部も私も、言葉の使い方などにとても気を遣った。
資料も少なかった。手元に置いたのは、古本屋で手に入れた戦時中の写真が載った当時の雑誌2年分。漫画には活字だけでなく写真資料も必要だ。それでも満州の家の中の様子や、鉄道車両の中など、よく分からず困ることは沢山あった。しかし、描きたかったのは「人は誰かのために生きたいと願うことで強くなる」という愛の形だった。
幸い、反響は徐々に大きくなって、単行本は合わせて100万部を超えるミリオンセラーになり、映画化もされた。見かけは地味でも、作者が本気で「描きたい」と熱を込めると読者への説得力になる気がした。
2.手塚治虫先生
初めて手塚先生にお会いしたのは、18歳のとき、あるマンガ家のパーティだった。その時はコチコチで酸欠になりそうだった。それでも何度かお目にかかるうち、少しずつお話しできるようになった。ある時、新大阪行きの新幹線に乗ると、何とお隣の席が手塚先生だった!
「どうしよう・・・」カチンカチンになった私に、先生は「今後、描きたいものはある?」「僕はね、究極のエロスを描いてみたいんだ。それが生命力の源だからね」。奥様とのなりそめや、仕事が忙しくて、新婚早々からほったらかしにしてしまったことなどをお聞きした。私を同業者として一人前に扱ってくださったようで、感激した。手塚先生は、いつお話しても、少し早口ながら、気さくで、意欲に満ちていた。石森(後に石ノ森に改名)章太郎先生ほか、他の漫画家たちのことをよく気遣っておられた。
3.国際交流でマンガ家の輪を広げる
1990年代に入ると、日本の漫画について海外からしばしば問合せを受けるようになった。95年には、韓国のマンガ家から「ソウルに来て大臣に会ってもらいたい」と頼まれた。いわく、日本漫画の海賊版が多くて困っているので、日本の作家から直接、政府に働きかけて欲しい、と言うことだった。
ちばてつや先生にも付き合っていただくと、ソウルでの歓迎会には、韓国のマンガ家全員と思うほどの人数が集まった。歓迎会で聞いた韓国のマンガ家の話しも興味深かった。彼らの多くは日本の漫画に親しんできたが、それが日本人の作品だと知ったときは「ショックで1週間くらい落ち込んだ」という。「日本人は鬼だと聞かされて育ったから、これほど感動的な漫画を描けるとしたら、日本にいる同胞だろうと思った。でもマンガ家が全員、同胞と言うのもあり得ない。悩むうちに気付いた。自分は人から聞いた日本人像に囚われて、リアルな日本人を知らないのだと。そこで思い切って日本に行って、日本人と話すうち、日本人イコール鬼ではなく、当たり前の人間なのだと分った」と言われた。この言葉がとてもうれしかった。
「物語の共有、共感」が相互理解を生むのだと確信して、漫画文化が共存するため「一緒に何かやろう」といことになり「アジアMANGAサミット」がスタートした。日韓のほか中国、香港、台湾のマンガ家たちも誘ってこの5地域を中心に活動を続けている。
4.デジタル時代の今後
昔は、プロのマンガ家として活動するには出版社が集まっている東京で描くことが当然とされてきたが、デジタル技術を使えば場所の制約がなくなる。海外で暮らしていてもいい。生活の選択肢が増えるのは素晴らしいことだ。画像を何人かで共有して、共同で漫画を描くこともできるだろう。読者参加型の漫画制作も可能だ。
漫画制作ソフトを開発している方々や、配信に携わる方々ともウェブ上の漫画の見せ方を意見交換してきた。私は画面のどこかをクリックすると、そこにある言葉や風景について解説文などが現れると面白いなぁと考えていた。しかし、ウェブ配信を目指す人たちの中には少し違う夢を抱く人もいて「絵を動かすこともできますよ!」と、うれしそうにおっしゃる方がかなりいらした。動画には動画の奥深い世界がある。漫画には静止画ゆえの表現がある。だから私はあえて「動かしたい」とは思わないのだが・・・。
しかし将来、デジタル化がさらに進むと、漫画とアニメの境界もあいまいになるのかもしれないし、新しい表現形式が生まれて定着するかもしれない。その気配はもう既にある。その中で、自分が表現したい形式を選んで描く人がふえていくだろう。たぶん、今後、電子書籍が主流になっても、紙の本はなくならない。紙もデジタルも、それぞれの良いところを生かして共存していくだろう。