生年月日 | 1939年2月24日 | 私の履歴書 掲載日 | 2012年2月01日 |
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執筆時年齢 | 72 歳 |
1939年2月24日 ~ 、東京市生まれ 女優。1957年に東映ニューフェイス第4期で水着審査を拒否したが補欠合格し、東映へ入社。同期には水木襄・室田日出男・曽根晴美・花園ひろみ・山口洋子・山城新伍らがいる。俳優座養成所で半年間、研修を受ける。東映の看板女優として活躍。
1963年、映画『人生劇場 飛車角』で鶴田演ずる飛車角の情婦という初の汚れ役が話題になった。続いて、『五番町夕霧楼』(代表作。サンケイ新聞社 シルバースター主演女優賞)、『越後つついし親不知』、『湖の琴』(1966年 NHK主演女優賞、京都市民映画祭賞)などの名作映画にも出演し、演技力も認められるようになった。
舞台では1983年に菊田一夫演劇大賞、1995年に文部省芸術祭賞を受賞している。2004年の舞台大作『鹿鳴館』(三島由紀夫原作)では元夫の平と成人して俳優になった長男・平岳大との3人での共演が話題になった。
1.東映・時代劇の黄金時代
1959年(昭和34)1月公開の「旗本退屈男・謎の南蛮太鼓」は、市川右太衛門先生が主演する正月映画だった。撮影所に足を踏み入れた途端、私はその活気に満ち溢れた雰囲気に目を見張った。時代劇の黄金期を支える活力とプライドがみなぎっていた。
朝9時、サイレンが響き渡ると、一斉に撮影が始まる。「○○組、第一ステージ」「○○組、第二ステージ」。スピーカーでアナウンスされ、監督や撮影スタッフが次々とセットに入る。照明さんや小道具さんが準備に取り掛かり、助監督はセットの廊下をピカピカに磨き上げる。
とりわけロケ隊が出発する風景は壮観だった。高級車やロケバスが所狭しと列をなし、俳優や監督、スタッフを待ち構えている。「山の御大」と呼ばれた片岡千恵蔵先生、「北の御大」と呼ばれた市川右太衛門先生、東千代之助さん、中村錦之助(萬屋錦之助)さん、大川橋蔵さん・・・。大スターが居並ぶ光景に私は圧倒される思いだった。
2.鶴田浩二さんとの出会いと別れ
陰りのある甘い表情で絶大な人気を博した鶴田浩二さん。「怖い・・」というのが初印象だった。顔は端正だが、目線に背中がゾクッとするすごみがある。そんな流し目で凝視されると、蛇ににらまれたカエルのようにおびえるしかなかった。鶴田さんと共演が続くが、口を利いてくれない態度が続いた。
転機が訪れたのは、共演二作目がかなり進んだ頃のパーティでお茶を突然誘われた。それまでのニヒルな態度とは全く違うさわやかな笑顔で、私は当惑した。これが「大人の恋の駆け引き」かも。
まもなく二人は恋に落ちた。私は「不倫」という言葉は好きではない。だが二人はもはや誰も止めることができない「灼熱の恋」に駆り立てられていた。当時私は22歳。14歳年上の大物スターの彼。
この恋愛関係はその後、数年続く。私の若い恋心は、湖に浮かぶ木の葉のように激しく揺れ動いていた。・・・だが、やはり相手は家庭がある身。「このままお付き合いを続けていても将来はない」と悟り、自ら身を引いた。私はすでに三十路に近づいていた。
3.人生の師・田坂具隆監督
1963年に私の代表作となる「五番町夕霧楼」に出演することができた。監督は田坂具隆先生。「真実一路」「路傍の石」「陽のあたる坂道」などの名作で知られる巨匠である。好々爺のような表情で相手の気持ちを汲み取りながら穏やかに話す。常に周囲への気くばりを忘れず、現場の誰からも尊敬されていた。
船着き場で親子が判れる場面。夕子が父の腕にそっと手を添え、未練を断ち切ろうとする。だが私は気持ちが乗らず、なかなか涙が出ない。「よっちゃん、こうするんだよ」。そんなとき、田坂監督が演技を指導してくださる。するとどうだろう。遊郭に売られる運命を受け入れた夕子の気持ちが痛いほどに伝わってきたのだ。監督への敬愛の情がそうさせたのかもしれない。気がつくと、私のほほに自然に涙が流れていた。田坂監督は私の心や呼吸まで手に取るように分かってしまうから不思議だ。クランクアップの際、「良い仕事ができた。もうギャラなんていらない」と思ったほどだ。この作品を機に田坂監督は私の「人生の師」になった。
4.平幹二朗さん
平さんはフジテレビの時代劇「三匹の侍」で浪人役を演じてお茶の間の人気を集めていました。平さんとの2度目の共演は「お吟さま」(NET)でした。役作りの深さ、演技に対する綿密な計算、切れの良い明瞭なセリフ・・・。平さんは役者として実に素晴らしかった。撮影の合間にプライベートの会話をするようになり、やがて交際するようになった。5つ年上の平さんは新劇出身らしく、演技論を厚く話してくれた。
1970年4月16日、私は平さんと東京赤坂の霊南坂教会で結婚式を挙げた。仲人は東映の大川博社長。結婚後もお互いの仕事の忙しさは変わらなかった。私は映画「戦争と人間」、テレビ「新・平家物語」で、平さんは「樅ノ木は残った」や「国盗り物語」などで活躍・多忙を極めた。そんな中、双子を授かった。私は仕事と育児をこなすだけで精一杯。平さんは、プロ意識が強く、ストイックなので家庭的な雰囲気にどっぷりつかれない。お互い仕事に忙しい時期になると、夫婦の間に役者同士の競い合いのような微妙な感覚が芽生えた。離婚の記者会見で平さんは「人生の共演では失敗したが、芝居での共演相手としては最高だった」といった。
さくま よしこ 佐久間 良子 | |
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『映画情報』1960年11月号(国際情報社)より | |
本名 | 佐久間 良子 |
生年月日 | 1939年2月24日(85歳) |
出生地 | 日本・東京府東京市板橋区(現・東京都練馬区[1]) |
国籍 | 日本 |
血液型 | O型 |
職業 | 女優 |
ジャンル | 映画・テレビドラマ・舞台 |
活動期間 | 1958年 - |
活動内容 | 1958年:デビュー 1981年:『おんな太閤記』 1989年:大原麗子と共演 2012年:旭日小綬章 |
配偶者 | 平幹二朗(1970年 - 1984年) |
著名な家族 | 平岳大(長男) |
主な作品 | |
映画 『五番町夕霧楼』 『孤独の賭け』 『湖の琴』 『大奥(秘)物語』 『病院坂の首縊りの家』 『細雪』 『遺産相続』 テレビドラマ 『葦の浮舟』 『さやえんどう』 『心の旅路』 『さすらいの旅路』 『帰らざる旅路』 『おんな太閤記』 『あっけらかん』 『旦那さま大事』 『ドナウの旅人』 舞台 『鹿鳴館』 | |
備考 | |
旭日小綬章(2012年) |
佐久間 良子(さくま よしこ、1939年2月24日 - )は、日本の女優[1]。東京市(現・東京都練馬区)出身。身長158cm。東映で初めて主役を演じた女優であり、大河ドラマ史上初めて単独主演した女優でもある。元夫は平幹二朗、息子は平岳大。