生年月日 | 1923年5月24日 |
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日本舞踊藤間流紫派家元。夫は三代目市川猿之助(後の二代目市川猿翁)。六代目藤間勘十郎の元妻で、三代目藤間勘祖である高子と俳優藤間文彦の母。
元日本医科大学学長河野勝斎の長女で、12歳の時、六世藤間勘十郎に入門し、天才少女と言われた。もともとは弁護士を志していた。1944年、21歳の時、勘十郎から「紫」の名を貰い若くして名取となり、24歳年上の藤間勘十郎と結婚。一男一女を儲けたが、1960年代から16歳年下の市川猿之助と生活を共にするようになり、1985年に勘十郎と離婚。2000年に猿之助と正式に結婚した。
猿之助は「私の履歴書」で、自分を支えてくれた藤間紫を次のように追悼している。
紫さんは踊りの師であり、猿之助歌舞伎の同志であり、公私ともに最高のマネジャーであり、頼もしい戦友であった。人生で最も大切なのは愛で、愛は犠牲だと教えてくれた。表に出ず「どんな悪者といわれてもかまわない。それよりも猿之助さんの信頼をなくしたくない」と口にしていた。(中略)
互いの意思(遺志)を貫くため入籍は大切と考え、奮闘公演30回、猿之助130年の節目にあたった2000年に承諾してもらった。
それにしても、世間体もある16歳の年齢差を越えた二人の強固な結びつきは、新しい歌舞伎を創造するという共通使命に共鳴し合った形なのだろう。「愛は犠牲だ」は二人の強い同志愛の共通認識だった。
ふじま むらさき 藤間 紫 | |||||
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1962年 | |||||
本名 | 喜熨斗 綾子(きのし あやこ)(河野→藤間)[1] | ||||
生年月日 | 1923年5月24日 | ||||
没年月日 | 2009年3月27日(85歳没) | ||||
出生地 | 東京府東京市本郷区根津宮永町[2](現・東京都文京区根津) | ||||
死没地 | 東京都[1] | ||||
国籍 | 日本 | ||||
民族 | 日本人 | ||||
職業 | 日本舞踊家、女優 | ||||
ジャンル | 舞台、映画、テレビドラマ | ||||
配偶者 | 藤間勘十郎(六代目) (1944年 - 1985年)[1] 三代目市川猿之助 (2000年 - 2009年) | ||||
著名な家族 | 藤間勘祖(3世) 藤間文彦 | ||||
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藤間 紫(ふじま むらさき、1923年〈大正12年〉5月24日 - 2009年〈平成21年〉3月27日)は、東京都文京区根津出身の日本舞踊家、女優。本名は喜熨斗 綾子(旧姓: 河野→藤間)。