| 生年月日 | 1938年3月30日 |
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1955年3月(16歳)、本名「島倉千代子」で歌手デビュー。デビュー曲『この世の花』(同名の映画の主題歌)は半年後に200万枚達成、人気歌手になる。
1957年(19歳)、『東京だョおっ母さん』が150万枚のヒット。映画化もされ、自ら主演する。この年初めてNHK紅白歌合戦に初出場(曲目は『逢いたいなァあの人に』。その後、1976年、1979年にも歌唱)、1歳年長で憧れの美空ひばりと競演してその後生涯にわたり実妹のように可愛がられるようになる。
「人生いろいろ」の実感が湧く 2026/03/15 感想
先日懐かしのメロディー番組を観ていると島倉千代子さんが、1988年に「人生いろいろ」でレコード大賞最優秀歌唱賞を受け、その表彰舞台で涙を流しながら歌っていました。今までなら、私の感想は「そうだろうなぁ、嬉しいのだろうな!」程度で終わっていました。ところが今は「私の履歴書」で執筆者の「考え方」や「生き方」を学ぶうちに、彼女の辛い過去も思い出し、歌の意味を掘り下げる気持ちになっていたのです。その辛い人生は?
彼女は、1957年(19歳)、『東京だョおっ母さん』が150万枚のヒット。映画化もされ、自らが主演する。この年初めてNHK紅白歌合戦に初出場(曲目は『逢いたいなァあの人に』。その後、順調でしたが1963年(25歳)、父親が他界。悲しみにくれる中、支えてくれた元阪神タイガースの藤本勝巳と母親の反対を押し切り結婚。結婚前に妊娠したが中絶、結婚後も二子をもうけたが中絶した。後年、この三人の子を合わせて「忍」と名付け、その名を小さな守り袋に入れて肌身離さず持ち歩いた。忍の名は、彼女の墓碑にも千代子と並んで刻まれている。(私は彼女の北品川にある東海寺大山墓地を見学したことがあります)
その後は個人事務所の社長(実兄)の浪費で資金管理が崩壊。また女性マネジャーに実印を預けたことで彼女が保証人にされ、16億円の大借金を背負わされる。それを返済後に、失明の危機を救ってくれた眼科医を彼女は深く信頼していたが、その医師副業の不動産業が失敗して、4億3千万円の借金をまた背負った。心労が重なり、病気になったが、快癒してやっと歌った唄が、「人生いろいろ」でした。この苦労を作詞家の中山大三郎氏が彼女の人生を聞き取り作詞し、作曲を浜口庫之助氏が行いました。それがその暮れのレコード大賞最優秀歌唱賞に輝き、その表彰舞台で涙を流しながら歌ったのでした。歌詞にある「人生いろいろ、男もいろいろ、女だっていろいろ」は彼女自身が波乱万丈の人生を歩んだことと重なり、歌詞の一言一言に“実感”があると、観ている私も同情で胸が詰まりました。
一方で、こんな思い出もあります。2004年の国会で自分の事務所の年金問題を追及された小泉純一郎首相が「人生いろいろ、男もいろいろ」発言は、“苦しい答弁の中で口をついて出た一言”として大きな話題になりました。このときは、アハハハ、機転の利いた面白い答弁だと感心したものでした。首相の答弁主旨は「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」だったようですが、マスコミも面白がって大々的に報道しました。「人生いろいろ、男もいろいろ、女だっていろいろ」の象徴的なフレーズは誰にでも当てはまる人生経験ですよね。「人はそれぞれ違う」「生き方も様々」という包容力のある人生は、悲しみを抱えながらも、「それでも生きていく」という静かな決意がにじむ良い歌です。私はこれからもこの歌を、愛唱歌の一つに入れて歌うつもりです。いかがでしょうか?
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| 島倉 千代子 | |
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| 1956年 | |
| 基本情報 | |
| 生誕 | 1938年3月30日 |
| 出身地 | |
| 死没 | 2013年11月8日(75歳没) |
| 学歴 | 日本音楽高等学校卒業 |
| ジャンル | 演歌 歌謡曲 |
| 職業 | 歌手 |
| 活動期間 | 1954年 - 2013年 |
| レーベル | 日本コロムビア[注釈 1] |
島倉 千代子(しまくら ちよこ、1938年〈昭和13年〉3月30日 - 2013年〈平成25年〉11月8日[1])は、日本の演歌・歌謡曲歌手。東京府東京市(現在の東京都)品川区北品川出身[2]、日本音楽高等学校卒業。愛称は「お千代さん」[3]。
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