生年月日 | 1945年12月01日 |
---|
女優・司会者。旧芸名は藤 純子(ふじ じゅんこ)。父は俊藤浩滋、夫は七代目尾上菊五郎、長女は寺島しのぶ、長男は五代目尾上菊之助。
父・俊藤浩滋の勤務先である東映京都撮影所へカメラテストに行った際にマキノ雅弘にスカウトされる。藤 純子の芸名をもらい、同年の映画『八州遊侠伝 男の盃』で千葉真一の恋人役でデビューした。
『緋牡丹博徒』で本格的な主演で主題歌も歌い、ヒット。主人公・緋牡丹のお竜(矢野竜子役)でシリーズ化され、若山富三郎・菅原文太と共演した1970年(昭和45年)の第6作目『緋牡丹博徒 お竜参上』はシリーズの代表作となった。
1972年(昭和47年)、NHKの大河ドラマ『源義経』で共演した歌舞伎俳優の四代目尾上菊之助(現・七代目尾上菊五郎)と結婚し、『関東緋桜一家』を最後に引退。
映画:『八州遊侠伝 男の盃』『緋牡丹博徒シリーズ』『日本暗殺秘録』/『日本女侠伝シリーズ』『日本侠客伝 昇り龍』/『女渡世人シリーズ』『関東緋桜一家』/『おもちゃ』
テレビドラマ:『源義経』/『翔ぶが如く』『北条時宗』/『てっぱん』
バラエティー番組:『3時のあなた』
秋山庄太郎「私の履歴書」1993年6月掲載から「女優の可能性を読む」
長いこと見てくると、その女優やモデルの可能性を予測するのも楽しみの一つであり、発見の喜びになる。
(1)吉永小百合さんが15歳の頃、「これは大スターになる顔だから、大事に育てなさいよ」と母親に言った覚えがある。後年、「夢千代日記」などの映画で、彼女のその持ち味が存分に発揮されたと思う。
(2)岩下志麻さんは、「駆けずのお志麻」と言われたほど、どんなに急ぐ時でも駈け出さないので、この名前がついた。近年の姉御役には、当時から見られた悠揚迫らぬ大物キャラクターが浮き出ている。
(3)藤純子さんは、セーラー服から撮っている。堂々とした態度で、この人は山本富士子まで行くと感じた。
(4)山口百恵さんが来たとき、「あ、この子は、早く結婚するよ」と、何気なく言ってしまったが、当たった。
(5)浅丘ルリ子さんは、「私、今、アンネですから、化粧乗りが悪いんです。ダメだったら、すみませんが、撮り直してください」。こんな話をさっぱりいえる女優さんは初めてだった。自分の顔の見られ方をよく知っている人で、その時の顔も、抜群にいい顔であった。
ふじ すみこ 富司 純子 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
『映画情報』1965年1月号(国際情報社)より | |||||||||||||||
本名 | 寺嶋 純子 (てらじま じゅんこ) 旧姓は俊藤 (しゅんどう) | ||||||||||||||
別名義 | 藤 純子 (ふじ じゅんこ) | ||||||||||||||
生年月日 | 1945年12月1日(79歳) | ||||||||||||||
出生地 | 日本・和歌山県御坊市 | ||||||||||||||
出身地 | 日本・大阪府大阪市東成区 | ||||||||||||||
血液型 | O型 | ||||||||||||||
職業 | 女優・司会者 | ||||||||||||||
ジャンル | 映画・テレビドラマ | ||||||||||||||
活動期間 | 1963年 - | ||||||||||||||
活動内容 | 1963年:デビュー 1972年:結婚、引退 1974年:司会者として復帰 1977年:出産・育児のため休業 1980年:復帰 1982年:女優復帰 1989年:映画出演再開 1998年:復帰後初めて映画主演 2007年:紫綬褒章 2016年:旭日小綬章 | ||||||||||||||
配偶者 | 七代目尾上菊五郎 | ||||||||||||||
著名な家族 | 寺島しのぶ(長女) 五代目尾上菊之助(長男) 尾上眞秀(孫) | ||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||
映画 『サマーウォーズ』 『八州遊侠伝 男の盃』 『緋牡丹博徒シリーズ』 『日本暗殺秘録』/『日本女侠伝シリーズ』 『日本侠客伝 昇り龍』/『女渡世人シリーズ』 『関東緋桜一家』/『あ・うん』 テレビドラマ 『源義経』/『翔ぶが如く』 『北条時宗』/『てっぱん』 情報番組 『3時のあなた』 | |||||||||||||||
| |||||||||||||||
備考 | |||||||||||||||
紫綬褒章(2007年) 旭日小綬章(2016年) |
富司 純子(ふじ すみこ、1945年〈昭和20年〉12月1日[1]- )は、日本の女優・司会者。血液型O型。和歌山県御坊市出身[2]。旧芸名は藤 純子(ふじ じゅんこ)。本名は寺嶋 純子(てらじま じゅんこ)、旧姓は俊藤(しゅんどう)。2007年(平成19年)に紫綬褒章受章[3]。2016年(平成28年)春の叙勲で旭日小綬章を受章[4]。