生年月日 | 1945年3月13日 |
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女優、歌手である。1960年代を代表する人気映画女優で、10年間で70本以上の映画に出演した。吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを世に送り出している。夫はフジテレビディレクター、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任した岡田太郎。
「日活の看板女優」として、浜田光夫と1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こした。特に『キューポラのある街』、ベストセラーを映画化した『愛と死をみつめて』などは世間から熱い注目を集めた。1960年代には吉永のブロマイドが、あまりの売れ行きに店頭から姿を消すなど、爆発的に売り上げを伸ばした。また、松原智恵子と和泉雅子と合わせて「日活三人娘」とも呼ばれた。
遠縁に歌手の佐良直美がいる(佐良直美の母方の大伯父である山口彰夫の妻と、吉永小百合の母が姉妹同士)また山本直純の妻の山本正美も遠縁にあたる(山本正美の妹の夫の母が、吉永小百合の母のいとこの妻と姉妹同士)。
お酒好きで、1970年代前半に年末年始の恒例だった雑誌『酒』の編集長・佐々木久子や楠本憲吉らが選ぶ『11PM』「女流酒豪番付」に於いて、小結に選出されたこともある。
映画:『キューポラのある街』 『伊豆の踊子』 『愛と死を見つめて』 『青春の門』
『おはん』 『映画女優』 『天国の駅 HEAVEN STATION』 『華の乱』 『おとうと』
『北のカナリアたち』 『ふしぎな岬の物語』
テレビドラマ:『樅ノ木は残った』 『風と雲と虹と』 『鮎のうた』 『夢千代日記』
秋山庄太郎「私の履歴書」1993年6月掲載から「女優の可能性を読む」
長いこと見てくると、その女優やモデルの可能性を予測するのも楽しみの一つであり、発見の喜びになる。
(1)吉永小百合さんが15歳の頃、「これは大スターになる顔だから、大事に育てなさいよ」と母親に言った覚えがある。後年、「夢千代日記」などの映画で、彼女のその持ち味が存分に発揮されたと思う。
(2)岩下志麻さんは、「駆けずのお志麻」と言われたほど、どんなに急ぐ時でも駈け出さないので、この名前がついた。近年の姉御役には、当時から見られた悠揚迫らぬ大物キャラクターが浮き出ている。
(3)藤純子さんは、セーラー服から撮っている。堂々とした態度で、この人は山本富士子まで行くと感じた。
(4)山口百恵さんが来たとき、「あ、この子は、早く結婚するよ」と、何気なく言ってしまったが、当たった。
(5)浅丘ルリ子さんは、「私、今、アンネですから、化粧乗りが悪いんです。ダメだったら、すみませんが、撮り直してください」。こんな話をさっぱりいえる女優さんは初めてだった。自分の顔の見られ方をよく知っている人で、その時の顔も、抜群にいい顔であった。
この記事に雑多な内容を羅列した節があります。 |
よしなが さゆり 吉永 小百合 | |||||||||||||||
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『映画情報』1965年2月号(国際情報社)より | |||||||||||||||
本名 | 岡田 小百合(旧姓:吉永) | ||||||||||||||
生年月日 | 1945年3月13日(79歳) | ||||||||||||||
出身地 | 日本・東京都渋谷区 | ||||||||||||||
身長 | 155 cm[1] | ||||||||||||||
血液型 | O型 | ||||||||||||||
職業 | 女優・歌手・ナレーター・司会者・タレント | ||||||||||||||
ジャンル | 映画・テレビドラマ・CM | ||||||||||||||
活動期間 | 1957年 - | ||||||||||||||
配偶者 | 岡田太郎 (1973年 - 2024年 死別) | ||||||||||||||
事務所 | 吉永小百合連絡事務所 | ||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||
映画 『キューポラのある街』 『伊豆の踊子』 『愛と死を見つめて』 『男はつらいよ 柴又慕情』 『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』 『海峡』 『天国の駅 HEAVEN STATION』 『おはん』 『映画女優』 『つる -鶴-』 『華の乱』 『長崎ぶらぶら節』 『北の零年』 『母べえ』 『おとうと』 『北のカナリアたち』 『ふしぎな岬の物語』 『母と暮せば』 『こんにちは、母さん』 テレビドラマ 『樅ノ木は残った』 『風と雲と虹と』 『夢千代日記』 | |||||||||||||||
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備考 | |||||||||||||||
紫綬褒章(2006年) 文化功労者(2010年) |
吉永 小百合(よしなが さゆり、1945年〈昭和20年〉3月13日[2] - )は、日本の俳優・歌手・ナレーター・司会者・タレント。本名:岡田 小百合(おかだ さゆり)。旧姓:吉永。
1960年代を代表する人気映画女優。10年間で、70本以上の映画に出演。吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを世に送り出している。夫はフジテレビディレクター、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任した岡田太郎。ファンは「サユリスト」と呼称される[3]。