生年月日 | 1923年12月02日 |
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ニューヨークで生まれパリで没し、20世紀最高のソプラノ歌手とまで言われた。特にルチア(ランメルモールのルチア)、ノルマ、ヴィオレッタ(椿姫)、トスカなどの歌唱は、技術もさることながら役の内面に深く踏み込んだ表現で際立っており、多くの聴衆を魅了すると共にその後の歌手にも強い影響を及ぼした。
カラスの特に傑出した点は、そのテクニックに裏打ちされた歌唱と心理描写と演技によって、通俗的な存在だったオペラの登場人物に血肉を与えた事であろう。持ち前の個性的な声質を武器にして、ベルカントオペラに見られるありきたりな役どころにまで強い存在感を現した。
カラスの最初の夫は30歳年上のイタリアの実業家ジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニであったが、後にオナシスのもとに出奔し離婚。オナシスとの愛人関係はケネディ大統領未亡人ジャッキーとオナシスの結婚後も続いた。その後ディ・ステファーノと恋愛関係に入る。
リッカルド・ムーティ「私の履歴書」より 2022年12月掲載「歌姫マリア・カラス」
ここで作曲家とディーバ(歌姫)の特別な思い出を書いておきたい。私は1970年代初めから、ベルリン・フィルとも何度も共演した。ここで伝説の歌姫、マリア・カラスをヴェルディの「マクベス」の舞台に立たせることができないかと思ったのは1974年のことだ。もう何年もオペラの舞台から遠ざかっていたが、マクベス夫人の役は彼女だという思いが強かった。ヴェルディが言ったように「魂を込めて演じる女優」カラスの姿を見たかったのだ。
彼女は英EMIにオペラ全曲盤やアリアをレコーディングしていた。私が主役の相談で「マクベス夫人をカラスに頼めないだろうか」と懇意のEMIのプロデューサーに話した数日後、彼女から電話が掛かってきた。
「私のことを考えて下さってうれしいです。でも、もう遅いです」と言った。あの声音は今でも鮮明に耳に残っている。彼女については多くが語られているが、私が強調したいのは歌手としての姿勢だ。彼女はオペラのリハーサル全てに立ち会ったという。自分の出番がないときでも劇場に顔を出し、オーケストラだけの練習も聴きに来ていた。スター性のある歌手には多忙のあまり、自分が歌うシーンがない稽古には来ない人が多い。カラスはこういう人だったということを私は知って欲しい。
マリア・カラス | |
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1973年、アムステルダム・スキポール空港で | |
基本情報 | |
出生名 | Sophia Cecelia Kalos |
生誕 | 1923年12月2日 アメリカ合衆国 ニューヨーク マンハッタン区 5番街, Flower-Fifth Avenue Hospital[1] |
死没 | 1977年9月16日(53歳没) フランス パリ 16区 パッシー (Passy), 36 de l'avenue Georges-Mandel |
学歴 | アテネ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽(オペラ) |
職業 | 歌手 |
担当楽器 | 歌(ソプラノ) |
活動期間 | 1942年 - 1974年 |
レーベル | EMI |
公式サイト | www.callas.it |
マリア・カラス(Maria Callas, ギリシア語: Μαρία Κάλλας, 1923年12月2日 - 1977年9月16日)は、ギリシャ系アメリカ人のソプラノ歌手。ニューヨークで生まれパリで没し、20世紀最高のソプラノ歌手とまで言われた。特に『ルチア(ランメルモールのルチア)』『ノルマ』『ヴィオレッタ(椿姫)』『トスカ』などの歌唱は、技術もさることながら役の内面に深く踏み込んだ表現で際立っており、多くの聴衆を魅了すると共にその後の歌手にも強い影響を及ぼした。