生年月日 | 1905年9月18日 |
---|
ハリウッドのサイレント映画期ならびにトーキー映画初期の伝説的スターである。3度のアカデミー主演女優賞へのノミネート経験があり、1954年に「輝かしく忘れがたい演技」に対してアカデミー名誉賞が贈られている。
ガルボは生涯結婚せずに一人暮らしを続けた。ガルボの恋愛関係でもっとも有名なのは、複数の映画で共演したジョン・ギルバートとの関係で、『肉体と悪魔』の撮影中だった1926年から1927年にかけて断続的ではあったが同棲したこともあった。『肉体と悪魔』は大ヒットし、MGMはガルボとギルバートとの私生活での関係を宣伝にもちいて『アンナ・カレニナ』(1927年)と『恋多き女』(1928年)で二人を共演させた。また、ギルバートは何度もガルボに結婚を申し込んだといわれている。
ガルボが両性愛者あるいは同性愛者だったと信じている伝記作家や人々もいる。1927年にガルボは女優リリアン・タシュマン (en:Lilyan Tashman) を紹介され、二人が性的な関係になったことを示唆する証拠が存在している。また、女優ルイーズ・ブルックスは、1928年に短期間ではあったがガルボと性的関係をもっていたと語っている。
『肉体と悪魔』(1926年)
『アンナ・クリスティ』(1930年)
『グランド・ホテル』(1932年)
『クリスチナ女王』(1933年)
『アンナ・カレニナ』(1935年)
『椿姫』(1936年)
『ニノチカ』(1939年
グレタ・ガルボ Greta Garbo | |||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
『ニノチカ』宣伝用写真(1939年撮影) | |||||||||||||||||||
本名 | Greta Lovisa Gustafsson | ||||||||||||||||||
生年月日 | 1905年9月18日 | ||||||||||||||||||
没年月日 | 1990年4月15日(84歳没) | ||||||||||||||||||
出生地 | スウェーデン・ストックホルム | ||||||||||||||||||
死没地 | アメリカ合衆国・ニューヨーク | ||||||||||||||||||
国籍 | スウェーデン アメリカ合衆国 | ||||||||||||||||||
職業 | 女優 | ||||||||||||||||||
ジャンル | 映画 | ||||||||||||||||||
活動期間 | 1922年 - 1941年 | ||||||||||||||||||
公式サイト | www | ||||||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||||||
『肉体と悪魔』(1926年) 『アンナ・クリスティ』(1930年) 『グランド・ホテル』(1932年) 『クリスチナ女王』(1933年) 『アンナ・カレニナ』(1935年) 『椿姫』(1936年) 『ニノチカ』(1939年) | |||||||||||||||||||
|
グレタ・ガルボ(Greta Garbo、1905年9月18日 - 1990年4月15日)は、スウェーデン生まれのハリウッド映画女優。本名はグレータ・ルヴィーサ・グスタフソン(Greta Lovisa Gustafsson)で、ハリウッドのサイレント映画期ならびにトーキー映画初期の伝説的スターである。3度のアカデミー主演女優賞へのノミネート経験があり、1954年に「輝かしく忘れがたい演技」に対してアカデミー名誉賞が贈られている。また、1935年の『アンナ・カレニナ』と1936年の『椿姫』で、ニューヨーク映画批評家協会賞 主演女優賞を受賞している。アメリカン・フィルム・インスティチュートが1999年に選定した映画スターベスト100の女優部門では、キャサリン・ヘプバーン、ベティ・デイヴィス、オードリー・ヘプバーン、イングリッド・バーグマンに続く第5位にランクされた。
ガルボはノーベル文学賞受賞作家セルマ・ラーゲルレーヴ原作の1924年のスウェーデン映画『イエスタ・ベルリングの伝説』 の準主役で、女優としての活動を始めた。この作品でのガルボの演技が、アメリカの映画会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー (MGM) の副社長ルイス・B・メイヤーに認められ、1925年にガルボはハリウッドへ招かれた。翌1926年にハリウッドでの1作目となるサイレント映画『イバニエスの激流』で注目を集め、3作目の『肉体と悪魔』(1926年)で国際的な映画女優としての地位を築いた[1]。
1930年の映画『アンナ・クリスティ』が、ガルボが出演した初のトーキー映画で、制作元のMGMはこの作品の宣伝に「ガルボが話す! (Garbo talks!)」というキャッチフレーズを使用した。同じ年の1930年には『ロマンス』も公開されている。ガルボはこの両作品でアカデミー主演女優賞にノミネートされた。当時のアカデミー賞俳優部門の規定では、同一年度に複数の映画に出演していたとしてもノミネートされる賞は一つだけだった[2]。大衆からのガルボの人気は高く、1932年にはガルボが映画会社との契約内容を主導したり、出演作品を自ら選ぶことが増えていった。ガルボの代表作として1936年の『椿姫』で演じた高級娼婦マルグリット・ゴーティエを挙げる専門家や評論家が多い。このマルグリット役でガルボは2度目のアカデミー主演女優賞にノミネートされている。その後、1939年のコメディ映画『ニノチカ』で3度目のアカデミー主演女優賞にノミネートされ、1941年の『奥様は顔が二つ』を最後に映画界から引退した。
引退した1941年にガルボはまだ35歳だった。その後もガルボのもとには多くの映画出演依頼が舞い込んできたが、ガルボが映画界に復帰することはなかった。引退後は公の場所に姿を見せることなく、隠棲生活のうちに死去した。