美女と才女
倍賞千恵子  
女優・歌手・声優
生年月日1941年6月29日
私の履歴書  掲載日2023年12月01日
執筆時年齢82 歳

女優、歌手、声優。 実妹は女優の倍賞美津子。弟は猪木事務所社長の倍賞鉄夫、日産自動車硬式野球部元監督の倍賞明。
1957年、松竹音楽舞踊学校に入学。1960年、同校を首席で卒業し、松竹歌劇団(SKD)13期生として入団、若くして「逸材」と注目される。同期に榊ひろみ(松竹女優)、加藤みどり(声優)らがいる。
グランドレビュー「東京踊り」で初舞台を踏む。この年から、首席入団生にフィナーレの先頭を切って大階段を降りる栄誉が与えられ、バトンガールに扮した倍賞がその初代を勤めた。
1961年、松竹映画にスカウトされ松竹歌劇団を退団し、『斑女』(中村登監督)で映画デビュー。1962年、山田洋次監督の映画『下町の太陽』に主演[1] して以降、山田作品に欠かせない庶民派女優となる。『下町の太陽』は映画・歌だけでなく、現在もそのフレーズ自体が倍賞の代名詞になっている。
1963年に『下町の太陽』で歌手としてもデビューし、第4回日本レコード大賞新人賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも4年連続出場した。
他のヒット曲に「さよならはダンスの後に」「おはなはん」「忘れな草をあなたに」(菅原洋一らとの競作)などがある。映画:『下町の太陽』『男はつらいよ』<シリーズ全48作>
『幸福の黄色いハンカチ』『遙かなる山の呼び声』『駅 STATION』

1.松竹歌劇団(SKD)から銀幕へ

1960年春、松竹音楽舞踏学校を首席で卒業。松竹歌劇団に入団する。この年から首席の新入生には「バトンガール」を演じる栄誉が与えられることになった。東京・浅草の国際劇場の本公演で上級生を率いて3階から階段を降りてくるくる役である。普段私は自分を褒めることなんてない。でも初代「バトンガール」を務めたことだけは堂々と胸を張りたい。どんなに苦しくとも辛くても、精一杯頑張ってきた証だから・・・。ー歌や踊りで一流のプロを目指すーごく自然の流れとして私はこんな夢を描くようになっていた。

ところがある日を境にその環境がガラリと変わる。松竹から女優としてスカウトされたのだ。「倍賞君、松竹の大船撮影所に行くことになったよ。女優として映画に出るんだ」。SKDの担当者から事務的にこう告げられた。私は訳も分からず「はい、分かりました」と答えるしかなかった。映画会社からスカウト。本来ならば「羨ましいこと」なのかもしれない。でも私にとっては迷惑な話だった。歌と踊りで活躍しようとせっかく努力を重ねてSKDに入団。目の前に明るい未来が開けていたのである。しかし、映画に出演後、映画出演が続き、以後SKDの舞台に立ったことは一度もない。

2.渥美清さんの死

1996年8月6日夜。電話のベルが鳴った。山田洋次監督からだった。「倍賞君・・・。渥美さんがいなくなっちゃったよ・・・」消え入りそうな小さな声だった。奥さんから連絡があり、2日前に病院で息を引き取ったという。移転性肺がん。68歳という若さだった。

(え?うそ・・)私は言葉を失い、直ぐに頭の中が真っ白になった。体調が思わしくないことは知っていた。でも、突然亡くなるなんて・・・。奥さん、長男、長女の家族3人で見取り、既に密葬をしたという。「死に顔だけは絶対に見せるな。火葬して骨にしてから世間様に知らせろ」これが遺言だったそうだ。実は秋から「男はつらいよ」シリーズ49作目の撮影に入る予定で1か月ほど前、打合せのために東京・代官山のレストランで会ったばかり。渥美さんは珍しくステーキを注文し、ペロリと平らげていた。だからすっかり安心していたのだ。

山田監督からこの連絡を受け、私は浅丘ルリ子さんの自宅に電話を掛けた。そうしなきゃいけない気がしたから・・・。電話で訃報を伝えると、ルリ子さんは涙で言葉を詰まらせて押し黙ったまま。おおきな衝撃を受けた様子だった。「お別れする会」は8月13日に松竹・大船撮影所で開かれた。演出を手掛けたのは山田監督。4万人近いファンや関係者らが駆け付けた。優しく微笑む渥美さんの遺影に向かって弔辞を読んだ。「お兄ちゃんと呼べなくなって寂しいよ・・・。人間として、俳優として誇りに思っています。出会えて本当によかった。どうもありがとう」。ただ一人の”兄”を失い、私の心には今でも大きな穴がポッカリ開いたままだ。

ばいしょう ちえこ
倍賞 千恵子
倍賞 千恵子
『小説倶楽部』1962年3月号より。
生年月日 (1941-06-29) 1941年6月29日(83歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都豊島区西巣鴨
東京都北区滝野川[1]育ち)
血液型 B型
職業 女優
歌手
声優
ジャンル 映画
テレビドラマ
活動期間 1954年 -
配偶者 小六禮次郎[1]
著名な家族 倍賞明(弟)
倍賞美津子(妹)
倍賞鉄夫(弟)
公式サイト 倍賞千恵子 オフィシャルウェブサイト
主な作品
テレビドラマ
太陽ともぐら
お姉ちゃん
ぼくの姉さん
映画
下町の太陽[1]
男はつらいよ[1]<シリーズ全50作>
幸福の黄色いハンカチ[1]
遙かなる山の呼び声
駅 STATION
PLAN 75
劇場アニメ
劇場版 機動戦士ガンダムI
ハウルの動く城
天気の子
受賞
日本アカデミー賞
ブルーリボン賞
その他の賞
毎日映画コンクール
女優主演賞
1971年家族』『男はつらいよ 望郷篇
女優演技賞
1981年『遙かなる山の呼び声』
1982年駅 STATION
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倍賞 千恵子(ばいしょう ちえこ、1941年昭和16年〉6月29日[1] - )は、日本女優歌手声優愛称は「チコちゃん」。

妹は女優の倍賞美津子。弟は日産自動車硬式野球部元監督の倍賞明[注釈 1]新日本プロレスリング元専務取締役で二代目リングアナウンサーの倍賞鉄夫。夫は作曲家小六禮次郎[3]

  1. ^ a b c d e f 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.59.
  2. ^ 倍賞千恵子の弟でセンバツ準優勝の倍賞明さんが死去…74歳、元日産自動車野球部監督 2019年1月24日5時0分 スポーツ報知(報知新聞社、2019年1月25日閲覧)
  3. ^ 「私の履歴書 倍賞千恵子」『日本経済新聞 東京朝刊』日本経済新聞社、2023年12月23日、44面。


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