生年月日 | 1935年10月01日 |
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イギリス生まれの女優、歌手、 作家、演出家、ダンサー。アカデミー賞を1度受賞している他に、英国アカデミー賞を1度、ゴールデングローブ賞を5度、グラミー賞を3度、エミー賞を2度、そしてディズニー・レジェンドとケネディ・センター名誉賞の受賞経験がある。エリザベス2世より舞台芸術の功績でデイムの称号を叙された。
アンドリュースはディズニー映画『メリー・ポピンズ』(1964年)で長編映画デビューし、アカデミー主演女優賞を獲得した。ディズニー映画でアカデミー主演女優賞にノミネート(後に受賞)されたのはいまだに彼女だけである。『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)では2回目のアカデミー賞ノミネートを果たし、ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞した。後者の映画は現在でも最高興行収入を獲得した映画第3位である。1964年から1967年の間、『卑怯者の勲章』、『ハワイ』、アルフレッド・ヒッチコック監督作品『引き裂かれたカーテン』、『モダン・ミリー』などでも人気を得て、当時の世界で一番成功した映画スターとなった。
1959年には幼なじみでデザイナーのトニー・ウォールトンと結婚し、娘エマが生まれた。エマには現在子供が2人いる。 ウォールトンとは1967年に離婚しエマの親権を得た。
1969年に映画監督のブレイク・エドワーズと再婚。2010年にエドワーズが亡くなるまでハリウッドのベストカップルとして知られた。 70年代〜80年代の出演映画はほとんどエドワーズ作品である。
映画
『メリー・ポピンズ』(1964年)
『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)
『ビクター/ビクトリア』(1982年)
『プリティ・プリンセス』シリーズ(2001年、2006年)
舞台
『マイ・フェア・レディ』(1956年 – 1962年)
デイム・ジュリー・アンドリュース Dame Julie Andrews | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1965年宣伝写真 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本名 | Julia Elizabeth Wells ジュリア・エリザベス・ウェルズ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1935年10月1日(89歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出生地 | イングランド サリー州ウォルトン・オン・テムズ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | イギリス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 173 cm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
職業 | 女優、歌手、作家、演出家、ダンサー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャンル | 映画、舞台 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
活動期間 | 1945年 - | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
配偶者 | トニー・ウォルトン (1959年 - 1967年)離婚 ブレイク・エドワーズ (1969年 - 2010年)死別 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
著名な家族 | エマ・ウォルトン・ハミルトン(娘) ジェニファー・エドワーズ(義娘) ジェフリー・エドワーズ(義息子) アメリア・エドワーズ(養女) ジョアンナ・エドワーズ(養女) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
映画 『メリー・ポピンズ』(1964年) 『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年) 『ビクター/ビクトリア』(1982年) 『プリティ・プリンセス』シリーズ(2001年、2006年) 舞台 『マイ・フェア・レディ』(1956年 - 1962年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大英帝国勲章 |
デイム・ジュリー・アンドリュース(Dame Julie Elizabeth Andrews、デイム・ジュリー・エリザベス・アンドルーズ、DBE、1935年10月1日 - )[1]は、イギリス生まれの女優、歌手、 作家、演出家、ダンサー。2000年、エリザベス2世より舞台芸術の功績で大英帝国勲章に叙され、デイムの称号をつけて呼ばれる。
アンドリュースはウェスト・エンド・シアターで1948年にデビューした。また1954年の上演作品『ボーイ・フレンド』でブロードウェイデビューし、両方ともトニー賞に彼女がノミネートされた『マイ・フェア・レディ』、『キャメロット』で世間の名声を得た。1957年にはテレビで1億人以上が視聴したミュージカル『シンデレラ』に主演した。
アンドリュースはディズニー映画『メリー・ポピンズ』(1964年)で長編映画デビューし、アカデミー主演女優賞を獲得した。ディズニー映画でアカデミー主演女優賞にノミネート(後に受賞)されたのはいまだに彼女だけである。『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)では2回目のアカデミー賞ノミネートを果たし、ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞した。後者の映画は現在でも最高興行収入を獲得した映画第3位である[2]。1964年から1967年の間、『卑怯者の勲章』、『ハワイ』、アルフレッド・ヒッチコック監督作品『引き裂かれたカーテン』、『モダン・ミリー』などでも人気を得て、当時の世界で一番成功した映画スターとなった[3]。
1970年代、映画でのキャリアは『スター!』、『暁の出撃』、『夕映え』の興行の大失敗により鈍化していった。しかし、『テン』(1979年)がヒットし、『ビクター/ビクトリア』(1982年)では3回目のアカデミー賞ノミネートを果たした。1980年代の残りは、批評家などからは絶賛されたものの商業的に不成功だった 『That's Life!(英語版) 』と『デュエット・フォー・ワン』に出演した。1990年代、彼女の名声は薄らいでいった。
アンドリュースの映画でのキャリアは『プリティ・プリンセス』(2001年)とその続編『プリティ・プリンセス2/ロイヤル・ウェディング』(2004年)、アニメーション映画『シュレック』シリーズ(2004年 - 2010年)、『怪盗グルーの月泥棒 3D』の成功でもう一度復活した。彼女の4オクターブもの、非常に印象的な声域は、1997年の喉の手術によって失われてしまった。2003年にはサッグハーバーのベイ・ストリート・シアターで彼女の最初のブロードウェイ成功作である『ボーイ・フレンド』が公演され、演出家を務めた。
アンドリュースは児童作家でもあり、2008年に、ロンドン大空襲の思い出などが含まれている自伝『Home: A Memoir of My Early Years』を出版した。
アンドリュースはアカデミー賞を1度受賞している他に、英国アカデミー賞を1度、ゴールデングローブ賞を5度、グラミー賞を3度、エミー賞を2度、そしてディズニー・レジェンドとケネディ・センター名誉賞の受賞経験がある。2002年、「100名の最も偉大な英国人」に59位で選出された。