会社側はこの「履歴書」を完成させるのに、担当記者に登場人物の誕生からの年譜や思い出の写真、講演録、社内報、社史、公私にわたる手紙など膨大な資料を提供することになります。
 担当記者は自分で集めたものとこれらの膨大な資料を読み、登場人物の歴史や実績・背景を理解したうえで、イメージを膨らまし実物像に迫ることになります。

 これらの資料は、掲載30回分の10倍ほどの量になるといわれます。そして掲載が終了すれば、それらの資料はすべて不用になります。ところが、秘書や広報部の関係者たちはボツになった歴史的貴重な資料も多いので、捨てるには「もったいなく」て活かす方策を考えることになります。そのなかには、外国の要人との手紙や会談など歴史的にも重要と思われる資料も含まれているからです。
 たとえば、それらをさらに整理し、プロのライターがまとめて単行本として商業出版で広く読者に提供するとか、自費出版して、お世話になった得意先や友人・知人たちに配布するなどが行われます。そうすれば、せっかくの資料や文献が散逸せずに残せるからです。

  この出版の場合の作業は、「履歴書」の担当記者の手を離れているので、社内の関係者が中心となって編集することになります。それも経営者の傍に仕え、本人の価値観や人柄を一番よく知っている秘書がその資料の取捨選択を行うことになるようです。
 執筆経営者のイメージを損なわないボリュームや内容になるよう、相当「資料を生かす苦労」をされたのだろうなと拝察したのでした。

 本章では、実際に「私の履歴書」づくりにかかわれた勝又氏の貴重なお話を基に、その舞台裏に迫りました。
 「私の履歴書」は日本経済新聞の読者から最も人気のあるロングラン企画であり、「看板企画」として高評価を受けています。それだけに登場人物も担当記者も力が入るのだと思いますが、秘書や広報部員も巻き込まれて大変苦労されているのが良くわかります。これらの裏方を担当された方々には心から「ご苦労様でした」「ありがとうございました」と申し上げたいと思います。

 しかしながら、これらのご苦労に感謝しつつも、それはそれとして再確認したいことがあります。
 私(吉田)としては、改めて読者のみなさまと「私の履歴書」というコラムの「主体」を共有したいと思います。
 このコラムの価値を長きにわたり高めて来てくださったのは、まさに各「ご登場者ご自身だ」ということです。ご登場の方々の赤裸々な人生ドラマの披瀝が、読者を勇気づけ、人間の人生というものに光をあたえ、「よし、この人にも多くを学んだ。わたし自身も自分で切り拓いていこう」と、その道を先導してくれているからです。
 そうしたコラムのご登場者は、一カ月間、執筆者として、ご自身の心血を注いで、ご自分の人生経験を表現しておられます。
 もちろん、原稿づくりを始め、多くのスタッフが黒子としてたずさわることにより、約30回の文章が紙面に割り振られ連載は展開されていきます。しかし、その「著者としての責任」は、誰が背負っているのかと問われれば、それは著者ご自身なのです。

 例えば、他人を傷つけたり、取り返しのつかない「内容的まちがい」を犯してしまった場合、会社や関係者に多大な迷惑をかけてしまいます。そのとき、対外的、世間的責任は、誰が問われるのか。訴訟の対象にさえなり得るリスクを背負う事態も発生します。それを背負うのは、たずさわったスタッフの方々ではなく著者ご自身と、掲載媒体自体なのです。このような重大な責任を、覚悟をもって担わねばならないのもまた、著者(登場者)という立場なのです。
 この最終責任のことを考えると、本コラムづくりのスタッフのご苦労や喜びとは次元を異にした、ご登場者の方々ご自身の重みをここに改めて感じざるを得ません。本章の最後に、歴代登場者の皆様に改めて感謝の意を表したいと思います。