満州国奉天生まれ。桐朋学園短期大学で恩師・齋藤秀雄から指揮を学ぶ。卒業後、欧州に単身で武者修行に出かける。2002~2003年のシーズンと、2009~2010年のシーズンにウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。世界的指揮者として活躍中。

小澤は若いとき、指を大切にしなければならないピアニスト志望でしたが、怪我の多いラグビーにのめり込みました。結局、指の骨折でピアニストを諦めざるを得なくなったとき、「音楽が好きなら指揮者になれ」というピアノの先生の運命的な言葉を聞いたのです。
 桐朋学園で斎藤秀雄先生に「指揮」を教わったのですが、先生が最も教えたかった「ベートベン第9番交響曲」の指導を受ける前に、24歳で欧州に武者修行に出てしまいます。
 この無計画な行動を、水野成夫(フジサンケイ)、江戸英雄(三井不動産)、遠山元一(日興証券)などが資金を提供して支援しました。
 現地や帰国後の窮状の際も、井上靖(作家)、小林秀雄(評論家)、三島由紀夫(作家)、流政之(彫刻家)など多くの有名人が陰に陽に応援してくれています。これは、小澤のすぐれた才能と愛される素晴らしい人柄をあらわす証拠だと思います。
師匠と仰いだカラヤンの薫陶の下、指揮者としての実績と名声を上げていたとき、確執のあった斎藤秀雄先生から、「お前も横に振れるようになったな」と褒められました。
小澤は「横に振る」の意味を次のように説明しています。

「指揮で横に振るというのは、ニュアンスを出すとか、曖昧な部分を表現することだ。極端な話、縦に振っていてもアンサンブルは合う。それ以上の音楽が作れるようになった、という意味だった。やっとわだかまりが解け、僕は芯からホッとした」

クラシック音楽に縁の遠い筆者は、コンサートにもあまり行かないので、指揮者の挙動を見ることもありません。テレビでカラヤンが目を閉じてタクトを振っているのを見て、桃源郷の境地で一流の楽団員を指揮できるのだから、ラクな仕事のように思っていました。
ところが、練習段階で指揮者と楽団員はお互いの実力を品定めするのだそうですから、これは一種の格闘でしょう。楽団員が指揮者の音楽に対する理解や造詣が深いと納得すればその指揮に敬意を持つので、そのタクトの微妙な変化にも対応した優れた演奏が可能になるというわけです。
このような意味で斎藤先生は小澤の指揮を、「お前も横に振れるようになったな」と褒めたのでしょう。
筆者はこのエピソードに触れて初めて、音楽における指揮者の重要性が理解できました。