松下は、「私の履歴書」に登場する経営者から最多の引用で出てくるが(第四章参照)、多くの人に経営についてわかり易く語り、多大の影響を与えている。
 日本屈指の経営者として「経営の神様」とも呼ばれた松下だが、平和と幸福を求めるPHP(“Peace and Happiness through Prosperity”の頭文字。“繁栄によって平和と幸福を”という意味)による出版・普及活動や、松下政経塾の創立による有為な政治家の育成を図るなど、多方面で活躍した。
明治27年(1894)、和歌山県に生まれ、9歳で大阪に出て自転車店で丁稚奉公を始めた松下は、その後、大阪電灯(現:関西電力)勤務を経て大正7年(1918)に独立する。それが、松下電気器具製作所(のちの松下電器産業)である。創業者の松下が大阪電灯を退職し、義弟・井植歳男(のちの三洋電機を創業)らとソケット製造を開始したのが始まりだ。
 松下電気器具製作所は昭和10年(1935)には株式会社に改組し、松下は「生産者の使命は、この世に物資を満たし、不自由をなくし貧しさを克服することにある」という、水道水にたとえた有名な〝水道哲学〟を提唱し、事業を繁栄させていった。
 昭和38年(1963)には、ニューヨークで開かれた国際経営科学委員会(略称CIOS)に招かれ〝私の経営哲学〟と題し、世界の経済人に対して講演をしている。
 ここで彼は、まず経営ということに触れ、「ケネディ大統領の行なうアメリカ国家の経営も、町の小さなドラッグストアの経営も、どちらも同じ経営である」という話から始めた。
 国の経営の意図するところは、その国の発展、繁栄であり、また国民の幸せである。一方、ドラッグストアの経営は、顧客のためにいろいろ注意を払い、サービスを完全にすることである。
 どちらも本質的には同じような意図に立っているが、むずかしいのは、どうすれば国民を幸せにできるか、どうすれば顧客に対するサービスが適切に行なえるかということである、としている。
そして、経営者の哲学と経営理念の大切さを、次のように指摘している。
「そこで非常に大きな問題になってくるのが経営者ということである。すなわち、それぞれの経営体にふさわしい適切な経営者というものが要求されてくるのである。そしてその経営者に、最も大切なことは、自己評価ということである。(中略)
経営者の厳しい自己評価ということと合わせて、その経営理念がどこに置かれているかということになる。その理念が、単なる利害、単なる拡張というだけではいけない。それらのことが、いわば何が正しいかという人生観に立ち、かつ社会観、国家観、世界観さらには自然の摂理というところから芽生えてこなければならない。」

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 松下は今から50年(1963)も前の時点で、経営者は自然の摂理に合わせて自己を律し、自己の血肉と化した人生観、人間観、世界観をもった経営理念が大事だと説いています。それはトップとして経営のグローバル化、民族や社会との共生を念頭に入れ、トップの「ものの見方、考え方」がいかに大切かを教えてくれています。
 この経営理念で経営を行なったため、早くからアメリカや中国など世界各地に進出することができ、現在のグローバル企業に大成長したのでした。