連載回数の少なさから見る

 回数の少ない人は、昭和31年、32年の当初に登場した方々が多くを占めます。
 作家が結構多くいますが、開始当初の暗中模索の中で、文章を編集する必要があまりないことから、作家にお願いすることが多かったのではないでしょうか。
 開始当初は、登場者の人間臭いストーリーよりも、その人の人生を特徴付ける事実関係を重視した内容でした。

 刀根浩一郎元文化部長によると、

1.曲がり角で私はどう決断したか

2.私の人格形成上の重要人物は誰か

3.生い立ちや両親について

4.一番悩んだこと、うれしかったこと

5.私はいかにして資産を作ったか

 などに絞って、登場者にお願いした、とあります(『私の履歴書』「経済人別巻—取材記者覚書—」)。

1 短い理由は?

 現在の連載回数の平均は30回ですが、本人の自伝ともいうべきスタイルの内容になっています。開始当初はそれとは違って、前述のように、その人特有の人物形成における事実関係を重視した内容になっていたからです。

順位回数氏名(掲載時肩書き)
16砂田重政(自民全国組織委員長)
27鈴木茂三郎(社会党委員長)、山田耕筰(作曲家)、杉道助(大阪商工会議所会頭)
38江戸川乱歩(探偵作家)、松下幸之助(松下電器産業社長)、佐藤春夫(作家)、広津和郎(作家)、松村謙三(前文相)、野村胡堂(作家)
49浅沼稲次郎(社会党書記長)、遠山元一(日興証券会長)、正宗白鳥(作家)
510堀久作(日活社長)、村松梢風(作家)、片山哲(社会党顧問)、出光佐三(出光興産社長)、武者小路実篤(作家)五島慶太(東急会長)、大谷竹次郎(松竹会長)
611橋本宇太郎(囲碁王座)、堤康次郎(前衆議院議長)、高碕達之助(経済企画庁長官)、石坂泰三(経団連会長)
712西尾末広(社会党顧問)、瀬越憲作(囲碁名誉九段)、杉山元治郎(衆議院副議長)
813井上八千代(井上流家元)、石橋正二郎(ブリジストンタイヤ社長)、石田退三(トヨタ自工社長)、河合良成(小松製作所社長)、原安三郎(日本化薬社長)

 第1回の鈴木茂三郎の次(第2回)に登場するのが13回連載の原安二郎(日本化薬社長)ですが、この方自身が「私の履歴書」発足に関わっていました。原は円城寺日本経済新聞社長に対し次回登場人物の時間的余裕を考えて、自らが第2回は書くと宣言し用意したと聞いています。
 また、松下幸之助の場合、最初は62歳(昭和31年)の社長時代に8回の連載で終戦までを書いたものの短かったので、20年後の相談役時代(昭和51年1月)にその後の大企業への発展の苦労、努力、反省などを書いています。それでも語り尽くせなかったので、「20年後にもう一度、登場しても良いですよ」と言ったそうです。20年後というと102歳なのですが……と、担当記者がいうと「私は130歳まで死なない」と答えたそうですから、その元気さに仰天したというエピソードが残っています。