私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

 ここに出てくる縁戚関係は表の人脈となりますが、恩師や学校、組織の先輩・後輩などの関係は裏(地下)人脈として、登場人物の人格形成に大きな影響を与えています。
 登場人物が人生行路の転機(入学・卒業・就職・結婚・転勤転職など)に際して進むべき道を示唆し、また実際に援助や斡旋を行なってくれた恩師がいます。

 これらの人脈を知っていたことが、ビジネスにおいても、社外の人間関係を作る上でも、筆者には大変役立った経験がありました。
 人脈という側面から見ると、「私の履歴書」は明治・大正・昭和という三代にわたる激動の歴史の一断面となっていることがわかりますし、面白く興味深いものです。日本の歴史の大きな流れとして人脈の縦横のつながりが立体的に俯瞰することができるのがありがたいと思えるのです。

恩師・恩人に関して「私の履歴書」には、さまざまな人たちが登場し、影響を受けた人たちについて想い出を語っています。そのなかには必ずといっていいほど恩人や恩師が出て、その人とのめぐり会いで執筆者のそれからの人間形成に大きな役割を果たしたことに気づきます。

 振り返れば、私にとっても大学進学や就職のとき、また社会人として困難に直面したとき、そのときどきに信頼できる人に相談し、勇気づけられたり助けられたりしました。
 そこで執筆者に多大な影響を与えた人は誰か、は大いに興味にあるところですので、下記に越後正一伊藤忠商事会長の恩師を代表例として紹介します。

「再面接で私は即座に伊藤忠に採用が決定、また忠兵衛さんから八幡商業へ入学するようにと勧めていただいた。
 こうして、熱望していた医学方面にはないにしても、長年抱き続けていた進学の夢が、忠兵衛さんに面接した時、一挙に現実のものとなり、父も私の手をとって涙せんばかりに喜んでくれた。
 私はしみじみ思う。人の一生は、よき指導者にめぐり合うことができるかどうかが、まずその人の運営を大きく左右する。十数年前に、もし私が伊藤忠兵衛さんに会うという幸運に恵まれなかったらいまの私はあり得なかっただろう。しかも運よくめぐりあう機会に恵まれても、認められる何かを持っていなければならないし、またそれを見抜く眼力ももちろん必要である。いずれかその一つが欠けても幸運はやって来なかったのだ。それを思う時、私はすべての条件が合致した若き日の自分の幸運を、やはり神仏のご加護としか思いようがないのである」

(掲載:昭和50年(1975)9.17~10.14)

 同じ狙いで執筆したのが、当人にとって非常に重要な人物を〝レファラント・パーソン(指示対象となる人物)〟と名づけて、調査・発表した浜口恵俊編著『日本人にとってキャリアとは』(日本経済新聞社出版)に詳しく書かれています。その内容は、登場人物が人生行路の転機(入学・卒業・就職・結婚・転勤転職など)に際して進むべき道を示唆し、また実際に援助や斡旋を行なった人物です。

 この対象者は昭和32年に始まり49年に完結した「私の履歴書」50巻(約270名が中心)です。興味のある方はぜひご覧ください。
 私は今回の経済人対象の325名に対して恩師を抽出しましたが、その中で複数名から恩師として感謝されている人をまとめました。

1.重複する恩人

指名恩 師氏   名
3人藤原銀次郎(王子製紙社長)足立 正(日商会頭)、野村與曽市(電気化学工業社長)、木下又三郎(本州製紙社長)
堀田庄三(住友銀行頭取・会長)伊部恭之助(住友銀行最高顧問)、中内 功(ダイエー会長)、樋口廣太郎(アサヒビール名誉会長)
松永安左衛門(電力中央研究所理事長)進藤武左衛門(水資源開発公団総裁)、井上五郎(中部電・中経連会長)、田中精一(中部電力会長)
小平浪平(日立製作所社長)安川第五郎(原子力発電社長)、井村荒喜(不二越鋼材社長)、倉田主税(日立製作所相談役)
2人白石元治郎(日本鋼管社長)河田 重(日本鋼管社長)、渡辺政人(東北開発社長)
石坂泰三(経団連会長)五島 昇(日商会頭)、佐波正一(東芝相談役)
山本条太郎(南満州鉄道総裁)原 安三郎(日本化薬社長)、内ケ崎贇五郎(東北電力社長)
野口 遵(日窒コンツエルン総帥)久保田 豊(日本工営社長)、松田恒次(東洋工業社長)
金子直吉(鈴木商店・大番頭)杉山金太郎(豊年製油会長)、高畑誠一(日商岩井相談役)
永野重雄(新日鉄会長)斎藤英四郎(新日鉄会長)、石橋信夫(大和ハウス会長)
小林一三(阪急電鉄社長)進藤武左衛門(水資源開発公団総裁)、乾 豊彦(乾汽船会長)
児玉一造(東洋綿花会長)石田退三(トヨタ自工社長)、塚田公太(倉敷紡績会長)
高梨壮夫(日銀名古屋支店長)神谷正太郎(トヨタ自販社長)、豊田英二(トヨタ自動車社長)
宇都宮仙太郎(日本の酪農の父)佐藤 貢(雪印乳業社長)、町村敬貴(町村牧場主) 
上田貞次郎(東京商大教授)茂木啓三郎(キッコーマン醤油社長)、森 泰吉郎(森ビル社長)
水島鉄也(神戸高商初代校長) 五島慶太(東京急行会長)出光佐三(出光興産社長)、高畑誠一(日商岩井相談役) 大川 博(東映社長)、土川元夫(名護田鉄道社長)
村井 勉(アサヒビール会長)瀬戸雄三(アサヒビール会長)、福地茂雄(アサヒビールHD相談役)
父親・岳父4名(父親名)   3名(執筆者名)藤山雷太(愛一郎:外相)、諸井恒平(貫一:秩父セメント社長)、中部幾治郎(謙吉:大洋漁業社長)、黒田善太郎(暲之助:コクヨ会長)、 安西正夫(森矗昶:昭和電工)、鹿島守之助(鹿島精一:鹿島社長)、小林勇(岩波茂雄:岩波書店社長)

2.一風変わった恩人への感謝

(1)会社敷地内に恩人の墓碑を建立。
早川徳次早川電機工業社長は最初に就職した飾り職人の坂田芳松氏の墓碑を建てた。

(2)恩人の息子から恩人とされる。
三菱鉱業セメント会長の大槻文平は、父親:永野 護(三菱鉱業社長)からよき指導を受け、息子:永野 健(三菱マテリアル相談役)のよき指導を行なったことになる。

(3)実姉が恩人
岡田卓也イオン名誉会長は、企業経営の困難時にはいつも姉の岡田千鶴子に助けられた。

(4)母親と義兄が恩人
伊藤雅俊イトーヨーカ堂名誉会長は、商売の鑑として感謝している。

(5)教師が恩人
・加納治五郎(東京高等師範校長):五島慶太(東急会長)
・福澤諭吉(慶応義塾大学塾長):安永安左エ門(電力中央研究所理事長)
・高橋誠一郎(慶応義塾大学教授):萩原吉太郎(北海道炭嚝汽船社長)
・小泉信三(慶応義塾大学教授):田嶋一雄(ミノルタカメラ会長)
・土井晩翠(第二高等学校教授):菊池庄次郎(日本郵船会長)
・新渡戸稲造(第一高校校長):三村起一(石油資源開発社長)
・中川小十郎(立命館総長):石原廣一郎(石原産業会長・社長)
・小泉八雲(第五高等学校教師):堀江薫雄(前東京銀行会長)
・河合栄治郎(東京大学教授):木川田一隆(東京電力社長)
・牧野英一(東京大学教授):杉浦敏介(日本長銀会長)
・板橋興一(一橋大学教授):江頭邦雄(味の素会長)
・青山芳夫(京都大学教授):安居祥策(日本政策金融公庫総裁)

(6)最近の傾向
 最近5年間ほどの登場者は創業者からの事業を大きく発展させた人が多く、その指導に感謝し恩師・恩人としている人が多くみられます。たとえば、大和ハウスの樋口武雄は創業者・石橋信夫を、オンワードの馬場彰は樫山純三を、オリックスの宮内義彦は乾恒雄を、積水ハウスの和田勇は田鍋健を、オリエンタルランドの加賀見俊夫は高橋政知を、などである。