2020年2月24日から3月2日(8日間)にかけて、ネパールのゴルケ村への行修旅行が行われました。メンバーは千葉の会代表の吉田勝昭(団長)、ネパールに詳しい建築家の楜沢成明(顧問)、千葉の会の春口征夫(標高測定)、名古屋の会の中村和義(短歌)、石黒哲一(地図)、長島啓修(文)の6名と現地の案内役としてオムさんご夫妻の合計8名で構成されました。

目的は2つ。1つは天風先生の帰国(1913:大正13)後、ゴルケ村は大洪水に見舞われ、カリアッパ師はその後、となり村のマネパンジャン村に移られヨガ指導を続けられたと言われていますがその後の消息が明確でないためその後について調べること。

もう1つは、吉田団長が2年前ゴルケ村を訪問時に村民が天風先生の足跡を調べてくれていたので、天風先生の滝の洞近くにあると思われるサンスクリット石刻字を確認することでした。この旅行参加は6名とも天風会員なので、最初から打ち解けた雰囲気のなかで始めることができました。

哲人の修行せし村訪ねんと 想いはすでにゴルケへの道

訪問目的のマネパンジャン村はゴルケ村との距離が歩いても4時間ほどで行ける距離なのですが、マネパンジャン(標高:1980)はインド領、ゴルケはネパール領ということで、外国人は通関施設のあるインドのシリグリという町を経由しなければなりません。そこで途中1泊を要する移動が必要でしたが、マネバンジャンからは、霊峰カンチェンジュンガも展望することができるので、ここから訪問することにしました。

山岳の国境の村マネバンジャン 溝を跨げばここはネパール

旅行3日目で目指すマネパンジャン村に到着、そこから山に向かって車で30分、人里離れた山中にチトレ寺院(2100)がありました。カリアッパ師と関係があるか興味津々です。ここで出迎えてくれたのがヨガ修行生を指導されているナワン・サンドウ導師(ヨギ)でした。身体から霊気を発するような雰囲気をお持ちの方でした。導師と案内のオムさんがたまたま同一のネワール種族ということで好意的に応対してくれました。導師との対話は次の通りです。

チトレ寺院
右:サンドウ導師
  1. この寺院は1910年に創建された。この本院はカトマンズにあり、教主がいる。
  2. 私は9年間ヨガ修業をし、ヨギになる。
  3. 32歳でここにきてヨガ修行者を指導していて、今年で28年になる。
  4. ヨガの修業コースは3年間で、瞑想や教義などの科目がある。
  5. 瞑想は寺院内ではなく、山中の洞に入り行う。
  6. カリアッパ師と思われる木像写真と実物写真を見せると、実物写真は第13世ダライ・ラマ(1879~1933)だと断定された。(現代のダライ・ラマは第14世)
カリアッパ師木像
ダライ・ラマ13世
  1. チベット教には4流派があり、①ダライ・ラマはゲルグ派、②サンドウ氏はドッパ派、③カリアッパ師はカルマ派だと言われる。
  2. カリアッパ師の存在は、カルマ・ヨガ派の人物に聞けばわかるはずとのことでした。

帰りに近くのカルマ派の寺院がインド領ミリクという町にあることを教えてくれましたので、訪問することにした。その日は、マネパンジャンに宿泊する。3日前に降った大雨の影響でマネパンジャンは3日間停電中でした。まさに100年前は電気もない生活であろうことから、当時を偲ぶのにはうってつけの状況に遭遇することができました。夜はローソクの中で食事をし、後は寝るのみでしたが、寒さが半端ではなく寝具の毛布を何枚重ねても寝具自体が冷え切っており震えながら夜を過ごすことになりました。天風先生はもっと過酷な羊小屋で藁にくるまって寝ていたことを思うと夜の寒ささもひとしおでした。

聖人のゆかりの村マネバイジャン ローソクの灯り一人瞑想

翌朝は、ジープに乗り雪道を登りチトレ寺院より山上にあるヨガ生修行のマニ寺院(2850)を訪問しました。ここもマネバンジャン地域ですから、カリアッパ師の情報が得られる可能性がありました。ここはネパールとインドのボーダーラインにあり、インド軍隊の駐屯地入口が道の向かい側にありました。

マニ寺院:2850
瞑想場所の大岩

管理人に訊くと次のように答えてくれました。

  1. 現在、ラマ教(現在はチベット仏教が正式名)の修行僧5名がヨガを修業中です
  2. タントラ(男女混合)仏像が多く展示され、ヒンズー教の影響が強い寺院です
  3. 瞑想する場所は少し離れた大きなあの岩です(ゴルケ村の天風石より大きい)
  4. チトレの寺院とは宗派が違うし、カリアッパ師も知りません。

このマニ寺院はネパールのシングレラ国立公園内にあり、雪シーズンは11月~3月のため、30cmほど積もっていました。ここは自然林に囲まれ、クマ、ジャガー、孔雀、コブラ、大蛇、ワシ、マングース、鹿などが棲んでいるといいます。こんな環境下でヨガの修業をされるのかと改めて驚きました。寺院前のレストランからは、カンチェンジュンガが写真のように見えると言われたが、雪雲のため一瞬、チラリと見えただけでした。(写真)

左側:カンチェンジュンガ霊峰:8586

午後は、サントウ導師に教えてもらったカルマ派ヨガのインド・ミリク(1500)BOKAR大寺院を訪ねましたが、あいにく例大祭で皆出払っており、話を聞くことはできませんでした。しかし、宿舎を見ると洗濯物を干してあり、多くの僧が学んでいると思われた。見かけたのは12~13歳の少年僧を4~5人でしたが、手を合わせて我々に合掌してくれました。

ラマ教のミリクの寺院辿り着く 少年の僧留守を守りて

ミリクのBOKAR大寺院:1500

すぐ近くに自然保護区があるため、ヨガ修行にも適しているのでしょう。この寺院の近くの樹木にも多くの猿がおり、寺院の屋根にもたむろしていました。ここまでで、カリアッパ師の消息探索は終わり、また国境を越えて第2の目的であるゴルケ村に向かうことになりました。その日は、ネパール元国王も泊ったフィッカル市のパノラマホテル(1550)で宿泊となる。

ホテル庭同行の八人笑い顔 朝日を浴びて朝礼の声

翌朝9時にホテルを出発、ここからはいよいよ舗装の無い凸凹道が始まります。2年前に来た時には4時間かかったそうですが、最近は広い道が開かれ1時間半になったそうです。それでも凸凹の具合は壮絶で日本の道路ではとても想像できない道でした。車の天井や横の人に身体をぶつけながら走り続けました。

ゴルケ行くでこぼこ道に水溜まり 腹に気を込め尻を締め上げ

午前11時にゴルケ村(1330)に到着。2年前から天風会員有志が学校に放送設備などを寄贈したお礼にと、文化祭と歓迎式典を併せた催しを学校あげて行ってくれました。全校生が居並ぶ中、訪問者8人に歓迎とお礼を込めて、額につける赤い印ティカとスカーフ“カタ”をかけてくれました。

ゴルケ学校全校生徒ナマステと 同行八人ティカで歓迎

教育委員長、校長先生から感謝の言葉があり、吉田さんが代表して感謝状を受けました。(写真)

その後、文化祭が始まり、2カップルのダンス、ネパール民族舞踊、教職員の椅子取りゲーム、クイズなどがあり、点数をつける生徒の審査員もいました。

ネパールの民族衣装髪飾り はにかみ少女軽やかに舞う

30分ほど見学した後、校長室に招かれティーをご馳走になり、懇談となりました。校長先生への質問に、全校生は5歳~17歳で合計:200名、小学生120名、中学60名、高校20名程度と応えてくれた。この後、広島の篤志家(山本氏)が寄付した科学教室を見学させていただき、学校を後にしました。改めて教職員や学生の純粋さを感じさせるひと時でした。

村を歩くと車はあまりなくロバ数頭が荷物運搬をしています。天風先生が修行された地ということもあってか、100年過ぎても悠々とした大自然の営みが続いており、ここに来たものではないと分からないなんともいえない雰囲気に包まれているのを感じました。(写真)

ゴルケ村マネバンジャンへの通い道 両背に運ぶ驢馬の四頭

ゴルケ村のロバ:1330

そして、天風先生が修行された滝(1460)を見に行きました。小さいながらも滝は勢いよく流れ落ちていましたが、2年前より周辺が整備されているという。

哲人の修行せし滝様変わり 滝下の溜まり金魚の二匹

27年前に清水榮一団長が中に入り、天風先生が瞑想したと思われる洞は滝の左側崖では見つからなかった。

また、2014年に滝の対岸にヨガ僧の悟りの聖句(サンスクリット語の石刻字)があると発見・報告してくれた米国人ステファン・アーリーさんの石刻字も草ぼうぼうで見つからなかった。時間をかければ見つかるかも知れなかったが、陽が暮れてきたので断念しました。

夜は、20名近い村民有志による歓迎キャンプファイヤーに招かれ、村の人々と歓談しました。ゴルケ小学校OBで村のリーダーでもあるドルパさんに今回もお世話になりました。彼の息子・シッタさんは、昨年末まで日本の箱根湯元温泉ホテルで2年間の実習をしていたそうで日本語も堪能でした。シッタさんはギターを弾き、ネパールのポピュラーや日本で覚えた「上を向いて歩こう」などを歌い、村民たちと一緒に盛り上げてくれます。我々は村自家製の粟焼酎ロキシーを飲んで楽しいひと時を過ごしました。

ニッポンで覚えし”スキヤキ”ギター弾き 若者二人輪の中で唄う

終わって、村で作ってくれた簡易施設に宿泊したが、部屋の窓は通風孔のようになっており、部屋温度は外気温とほぼ同じでした。村の人達とは体感温度が違うようで、日本人全員がマネバンジャンと同様に震えながら一夜を過ごしました(天風先生は冬も羊小屋のワラ布団でしたよね)。朝4時には隣接のニワトリ小屋からコケコッコーの連呼で起こされた。

クッククックー山間の村早起きし 少年のころの故郷(ふるさと)に想い

翌朝、旧小学校裏手の大きな天風石を訪れた。前回訪問時に天風先生の肖像版を掲示されていた広場は子供たちのミニサッカー場となり、撤去されていました。全員が天風石に上り安生打坐を行い、記念写真を撮る。そして、石の下を流れる2月の雪解けメイウ川の冷たさを実感しました。先生はこの冷たい水に腰から下を浸して、1年7か月でクンバハカを会得された。その後も1年、滝横の洞でひたすら瞑想して「天の声」で大悟されたと言われます。こうした2年7か月にわたり修行をされた天風先生を思うとき、その修行の厳しさの一端を味わさせて頂いたような、厳粛な気持ちに浸ることができました。

この旅行期間中は毎朝、天風式朝礼をみんなで役割分担し、交代でやってきました。夜空の星の美しさ、大自然の奥深い森林、朝夕の寒さ、雪溶け水の冷たさなどを体感することで、朝礼の誦句も実感でき、身が引き締まってきました。これだけでも来た甲斐があった旅行で、見えないですが神韻縹渺たる精気という“カタ”をゴルケ村にかけてもらえたのではという余韻がのこる旅行になりました。

ゴルケ旅終わりて帰るカトマンズ ホテルの窓も満天の星

参考資料:

「ネパールの天風先生足跡を訪ねて」・「志るべ」2018年6月596号「聖地ゴルケ村行修ツアーの体験」・「志るべ」1993年6月