私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

ネパールの天風先生足跡を訪ねて

私に人生の生き方を教えてくださった中村天風先生、この敬愛してやまない先生が死に物狂いで修行した場所(ゴルケ村)を今回有志15名で訪問した。訪問理由は、天風先生がカルマ・ヨガの大聖者カリアッパ導師(グル)の指導を受け、自分は「生きている」のではなく、「生かされている」と気づき、そしてついに「あぁ、そうだ!わが生命は大宇宙の生命と繋がっている」と悟った修行場所や環境はどのようなところか、を知りたかったから。それと私75歳の健康寿命(男子平均71.19歳:平成25年現在)を考えると、体が動けるうち、日の暮れぬうち、と考えたからでした。

1.行程

 2018年3月14日~3月24日の11日間で、前半はヒマラヤ山脈の清冽な雄姿を見学、後半は天風先生の足跡を訪ねるものでした。前半の案内はネパールに20年間で4件のホテルを設計・建設に関与した建築家の楜沢成明氏に、後半はゴルケ村を10回以上の案内歴を持つ、オム・シュレスタさんにお願いした。

3/14(水) 00:20タイ航空にて羽田発ーバンコク空港ー12:30カトマンズ着(標高1000m)。
バンコクで5時間位の待ち時間があったが、出発すると機内窓からカンチェンジュンガ(8586)、ローツェ(8518)、エレベスト(8848)の3巨峰が朝日に輝いて見えた。着後、カトマンズの旧王宮を見学(世界文化遺産:今でも外国の元首が訪れると中庭で国家行事が行われる)。自動車・バイクが氾濫し排気ガスと粉塵のスモッグで大気汚染はここでも深刻でした。バイク運転者はほとんどがマスクを着装していた。ホテル サンセット ビュー泊。
3/15(木) 昼頃の飛行機で中央ネパールのポカラ(800m)へ・・着後、山岳博物館でエレベストなど8つの8千m級のヒマラヤ連峰資料、日本のマナスル初登頂資料や雪男資料を見学。リゾート地フェワ湖からアンナプルナ(8091)連峰を満喫する。後、サランコットにある、ホテル  アンナプルナ  ビュー(1592)。泊。
3/16(金) 早朝、ホテル屋上から夜明け前の連峰を見る。朝日が昇るにつれてアンナプルナ連峰が鮮紅色に輝き、次いで黄金色に、そして最後は白銀の霊峰にと刻々と変化するのを満喫する。朝食もそこそこに、四輪駆動車にて出発。石ころだらけの山道をアップ・ダウンしながら、高度を上げてタサン・ロッジ(2,650)へ。西にダウラギリ(8167)連峰、東にニルギリ(6940)連峰が見える絶景地だった。泊
3/17(土) 深夜の星空は北斗七星、北極星などが指呼の感じで大きく輝いていた。早朝のダウラギリ、ニルギリのご来光を前日のアンナプルナと同様感動しながら拝むことができた。この日は、約100年昔、仏教の真実を求めてネパールに来た河口慧海の記念館、山岳仏教寺院、チベット難民集落を見学。タサン・ロッジ泊。
3/18(日) 早朝4:30にジープで出発、ジョムソン空港(2850)5:30着。7:00の小型飛行機で15分の遊覧飛行後、ポカラを経て、夕方カトマンズへ行く予定でした。しかし、天候不順のため、飛行機が飛ばず、やむなくジープで11:00に出発し、9時間半後の20:30にポカラに到着。そこで宿泊。
3/19(月) ホテルにて朝食後、午前の飛行機でカトマンズへ移動。サンセットビュー泊。

2.ゴルケ村

3月20日(火)いよいよ天風会員は主目的地に向かいます。決められた担当者が張り切って、朝礼を「司会」(芝田尚子さん)、「甦りの誦句」(水上芙佐子さん)、「誓いの言葉」(阿部欽三さん)、「活力吸収法」(私)、「呼吸操練」(島田昭代さん)、「体操」(芝田之克さん)が順序よく行います。

私たちはネパールの首都カトマンズから午前の国内航空約50分飛行でネパール東端のインド領に近いバドラプール空港に着き、ジープ3台に分乗し出発する。カカルビッタで昼食をとり、夕方、ゴルケ村は宿泊施設がないため、同じイラム県のフィカル市(1000m)に着きマンダラホテルに泊まる。

3月21日(水)早朝ゴルケ村から案内人が迎えに来てくれており、朝礼後、小都市フィカルのホテルを9:00、3台のジープに分乗して出発した。バドラプール空港からフィカル市までは舗装道路が主でしたが、ここからはゴツゴツの石畳道が続き、車の振動もひどかった。次に現れた道は、人の頭ぐらいの石がゴロゴロ地面にはみ出している狭い山道で、上に登り下って進んでいく。ジープ内の我々は体が左右・上下に大きく揺れ、頭を天井や窓に、肩や背中はシートや窓に打ちつけられて悲鳴を上げる。地元の人たちはこの道をロバで交通していた。途中の山中で豹に噛まれた女生徒がいたようで生徒や村人が取り巻いていた。2時間半後にゴルケ村に着くと、意外や10数人の女子小学生に校庭に案内された。そこには椅子が15脚用意されていて、座ってくださいという。座ると両手で拝む仕草をし、ナマステ(いらっしゃいませ)と言い、各自の額に丸い紅を付けて、レイのような絹の織物(カダ)を掛けてくれた。そこには村人たちも30人ほど来ており、そのたびに拍手をしてくる。同行のみんなはどうしてこのように歓待してくるのだろうと不思議がる(写真:生徒たちと一緒に)。

そして校舎に入ってくれという。入ると女子小学生と女教師で作った料理を食べてくださいという。それは焼きそばと白いスープでした(写真)。小学3~4年の女生徒がナマステと言いながらみんなに運んでくれる。我々も手を合わせながらナマステと応えて受け取る。この素朴で恥じらいのある温かいもてなしに感動し食事に涙ぐむ人もいた。部屋は薄暗く電気はなし、天井はトタン屋根で、簡素な木材で組み立てられていた。

食事が終り校舎の外に出ると、生徒は輪になって腰掛け、先生や村人たちは立って焼きそばを食べていた。すると同行の歯科医・中久木一乘さんがお礼の気持ちで女子生徒にマジックを披露していた。生徒たちは目を輝かせて見つめている。一つ終わると使ったマジックネタを生徒に渡すとキャァ、キャァ喜ぶ。どこの国の子も同じだと感じ、見ている我々も喜ぶ。次のネタに移ると大人たちも生徒の後ろから観賞し拍手することとなった。村民とわれわれとの笑顔の交流が広がった(写真:マジック)。

その間、私たちは温かい村民に対する感謝の気持ちをどのように表すかを考えており、急遽、レストランで予定していた昼食代と感謝の気持ち代をみんなから集めて、女教師2人に「文房具代」として受け取っていただいたのでした。

この村(1350)は高い山々に囲まれており、3000m~5000m級の山々が前方にそびえているため、霊峰カンチエンジュンガ(8586m)はここからは見えなかった。集まってくれた30名ほどの村人に次のような質問を行った。

(1)人口と教育はどうなっていますか?

現在の人口は40世帯で300名。昔も今とあまり人口は変わらない。学校の義務教育は5歳から17歳までの12年間であり、生徒数は近隣からも通っているので300名。一クラスは30名。現在は近くの山の上の大きな校舎で授業を受けている。

(2)天風先生をご存知ですか?

問いかけると、4~5人が手を挙げてくれた。その人に「どうして?」と訊ねると、「25年ほど前に天風会の人が大勢来てくれた時、村の長老が日本から来た青年を知っており、その話を一緒に聞いたから」と答えてくれた。これは平成5年(1993)4月に当時の天風会専務理事・清水榮一氏が団長で36人のヒマラヤ行修ツアーだったことがわかりました。(注:1993年「志るべ」7月号-ヒマラヤ行修の旅足跡―)

(3)現在のヨギはここで修行しているのですか?

今は誰もしていません。現在のヨギは、ここからジープで1時間半ほどかかるマネバンジャン(1960m)近隣で修行しています。そこは密林が多くヒョウやレッサーパンダなど珍しい動物が多くいる場所でもあり、カリアッパ師の像が安置されている寺院もあるという。

3.修行場所と環境(地形、気候、温度など)

(1)川床と岩の上の坐禅

交流後、案内人が校舎の裏手下に位置する1500㎡ほどの広場に案内してくれました。

驚いたことに、広場の片隅に天風先生の写真を掲げた掲示板がありました。そこにはMr.NAKAMURA TEMPU -MEMORIAL PLACE-と書かれていた(写真:広場の掲示板)。案内人に聞くとこの広場は以前ススキのような雑草が生い茂っており、村人たち有志が半年がかりで除草し、この掲示板を立ててくれていた(案内人のオムさんが半年前、「ゴルケ村ツアーがある」と村人に耳打ちしていたそうだ)。この掲示板のすぐ下に小川が流れ、そこに天風先生が坐禅を組んだと言われる大きな岩があった(写真:瞑想岩)。

今から107年前に35歳の天風先生が当時不治の病と言われた奔馬性肺結核を治すため、カリアッパ師に導かれて、パキスタンのカラチで船を降り95日間の長旅の末、ここヒマラヤ第3の高峰カンチエンジュンガの麓にたどり着き、ゴルケ村のここで修行したと言われる。インドのカースト制度が厳しかった時で、先生は村民より低い奴隷の身分で早朝からこのメイウ(mayu)川に入り、腰から下は水に浸かって坐禅を組まれたという。

この地域の緯度は日本の奄美大島とほぼ同程度の亜熱帯地域にあたり、雨期(6月~9月)と乾期(10月~5月)とがある。今回訪問した3月は乾期であり、日本のように春咲きの桜が咲いていた。しかし、朝の最低気温は7℃、昼中は27℃、陽が沈むとグッと寒くなりダウンジャケットが必要となる。川の水に触ってみると雪解け水のため冷たく、天風先生は腰から下は水に浸かって坐禅を組んだと言われますから、私にはこの水温では、とてもできないと思いました。この河原には大きな石が沢山ありましたが、ひときわ大きいのが天風先生が座ったとされる石でした。先生の最初は奴隷身分ですから、先輩のヨギ(行者)を押しのけて座れないだろうと想像した。しかし、雨期では乾期の8~10倍の雨量となり、水かさが増し流れも急になりますから、低い石台では体が流されるため、この大石に座られると安心です。また、夜にこの大石に座り満天の星空を見、小川のせせらぎを聴き、修行をされたのかなとも思いました。

みんなは感慨深くこの大岩に座り、瞑想したり、天風先生を偲んだりしました。前日にここに訪れた名古屋の久松貴裕さんは4時間もここで瞑想したという。

(2)滝行(1450m)と坐禅

この後、この村からジープで1時間10分ほど険しい山を登ると、修行されたという滝に案内された。当時は日本の華厳の滝よりも大きな滝であり、滝壺近くで坐禅を組むと水の轟音で何も聞こえなかったと「ヨーガに生きる」おおいみつる著(春秋社)に書いてありましたが、現在は大地震の影響で、小さな滝に変貌していた(写真:小さな滝)。

この滝は道路から50mほど入ったところで、5mほどの高さでした。しかし滝の背後はうっそうと樹木が茂っており、毒蛇や豹などがいるので奥に侵入するのは危険だといわれた。

当時、天風先生は毎日昼からカリアッパ師がロバに乗り、それに従って1時間半ほどかけて、この山中の滝にたどり着き、師からの公案を瞑想して考え続けられ、ついに2年7カ月で大悟した場所と言われる。

しかし、この滝壺の岩々で多くの修行者(ヨギ)が瞑想を行い、神秘体験を得て、その歓喜や感動の言葉を山中の岩などに彫り付けたというサンスクリット語も、全く見当たらなかった。というか地形そのものが変わっており、近辺は樹木が生い茂り山中に踏み込むことができないのが実情でした。できればこの実物を見たい気持ち一杯でしたが・・。

 滝行と言えば、私は30年ほど前に天風会に入会し、天風先生から直に指導を受けられた学芸大学元教授・米津千之氏が主宰する滝行クラブ「とりふね社」に所属していた。そして毎月1回、滝行クラブの人たち20人ほどと秩父、丹沢、赤城、筑波山麓を巡回しながら滝行していました。本当の滝行の良さは2月の寒滝行であるといわれ、秩父の三峰山「清浄の滝」に参加しました。

 山の中腹で車を降り、40分ほど雪道を踏みしめ滝に到着すると、雪のない岩は凍っており、雪水の滝はとうとうと高さ30mを流れ落ちていた。滝の水が流れていない滝の上の方はツララが一面に垂れ下がっていました。あまりの凄い光景に一瞬もう帰ろうかと思いましたが、6割が女性の参加者で彼女らはきゃっきゃっと喜んでいましたので仕方なく白装束に身を固めました。参加者が順番に滝に入り、リーダーの指導のもとに修行を行いますが、滝水を頭頂に受けたときは春や夏の水の冷たさとは全然違っており、一瞬にして脳震盪を起こしたように頭の中が真っ白になり何も判らない状態になりました。わずか5~6秒で滝から出されたと思いますが、足元がふらつき持ち場に帰ってくるのがやっとでした。

 外気温は3~4度ですが、水を浴びた後は、体から水が気化熱で体温を奪って滴となり、岩にポトポトと落ちます。しばらくすると岩の冷たさでその水がゼリー状となり変化するのが見えます。体はだんだん冷えて足はがくがくと震えが止まりません。参加者全員が滝から出てくるまで40分ほどかかりますがその間、震えながら滝行の人に気(念力)を送り続けなければなりません。1回目の滝行が終わると、米津夫妻らの留守組が燃え盛っている焚き木の近くに招いてくれ、熱くて甘いコーヒーを手渡してくれます。このコーヒーが冷えた体にはご馳走でおいしいのです。そして1時間ほど体を温めて再挑戦します。

 私のこの経験からすると、天風先生が滝壺のそばの石に座り、雪解けの滝のしぶきを受けながら長時間瞑想を行うのは、よほどの覚悟と意志の堅固さがないと続かないと思ったものでした。特に冬場の滝で水に濡れた行着では体温が下がる一方ですから、洞の中に入り、水に濡れない工夫をされたとも思いました。先生が修行したという洞は、今は崩壊したのか、案内してもらえませんでした。

しかし天風先生はこの厳しい環境を難行苦行で克服し、ここで大きな悟りを開かれたといわれる。これを思っていた時、活力吸収法の誦句「神韻縹渺(しんいんひょうびょう)たる大宇宙の精気の中には、われら人間の生命エネルギーを力づける活力なるものがくまなく遍満存在している・・」という、先生の独特の言い回しの発声が思い出された。この最初の「しんいーん、ひょうーびょーうたる」という言い回しは、奥深い森林、轟音の滝、満天の星空などに満ち満ちている大自然のエネルギーを感じて発しているのだ、と実感できたのでした。そうだ、この環境だから抑揚のある声なのだ!と、気付きとてもうれしく感じました。 

4.感想

(1)今回ここに来てよかった。天風先生著「真人生の探究」や喀血を続けながら難行苦行して到達された貴重な誦句の言葉の意味に近づき、実感することができた。

(2)現地の気候、風土、人情に直接触れることで天風教義の「心と体を健康にする」実践哲学を、今後はこの環境を思い出しながら毎日をより真剣に取り組もうと思った。

ネパール旅行写真

日の出で刻々と変化するアンナプルナ(8091m)連峰
朝日で黄金色に輝くダウダギリ(8167m)連峰
ゴルケ村の人たちと一緒に
小学生が料理してくれた歓迎の焼きそばとスープ、フルーツ
マジックの種明かしを見て喜ぶ小学生
天風先生の肖像画を建ててくれていた
川床と岩の上の座禅、3月の雪解け水は冷たかった
2016年の大地震で小さくなっていた滝