掲載時肩書 | ガラス造形家 |
---|---|
掲載期間 | 2000/12/01〜2000/12/31 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1921/04/28 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 79 歳 |
最終学歴 | 東京藝術大学 |
学歴その他 | 東京美術 |
入社 | 工芸ガラス |
配偶者 | 工芸娘 |
主な仕事 | ペルシャガラス、ガラス工芸行商、転機「虹彩」、アート運動、光琳型ガラス箱、工芸協会、国際展 |
恩師・恩人 | 岩田藤七 |
人脈 | 岩田久利(息子)、スタジオグラス運動(全世界に)、ベネチアガラス、H/リトルトン(創設)、 |
備考 | 松島「藤田 恭平美術館」、 |
1921年4月28日 – 2004年9月18日)は東京府生まれのガラス工芸家。東京美術学校で彫金を学ぶが、途中でガラス工芸に転向する。その後、イタリアで学んだ色ガラスと金箔を混ぜた飾筥(かざりばこ)で独自のガラス工芸分野を確立した。
1.ガラス工芸(虹彩)完成
長さ2m近い、鉄の竿の吹き出し口にたね(溶けたガラス)を巻き、空気を吹き込む。ガラスをある程度膨らませたところで、もう一本竿を持ってきて付け替え、前の竿を抜き取ると穴が開く。今度はそこを火であぶると、口が開いたように穴が大きくなった。竿に新しいたねを巻き付け、棒でその一部を引っ張る。溶けたガラスはまるで水あめのように柔らかく、垂れ下がってきて想像もできない面白い形になった。こんなことを繰り返して複雑な形をつくっていった。
昭和39年(1964)、東京オリンピックの年に記念碑的作品の「虹彩」をつくった。一つ作るのに、そんなに時間はかからなかった。なにしろガラスが冷えて固まる前に、形を決めなければいけないのだ。どんなにかかっても1時間。それ以上かけていては体力が持たない。この作品をつくって、僕はガラス作家としてやっていく自信がついた。その意味で、記念碑的作品だったが、二度と同じ作品はつくれなかった。
2.ガラス作品の新潮流(スタジオグラス)
1962年、アメリカではスタジオグラスの運動が起きていた。ハーベイ・リトルトンとドミニク・ラビーノという人が提唱した運動で、ガラスをアートの素材として再認識しようという発想から生まれた。
リトルトンは量産方式のガラスとは一線を画し、スタジオに小さな窯をつくって自分たちで材料を仕入れ、ガラス造形に取り組むことから始めた。そして、デトロイトの少し南に位置するエリー湖畔のガラス町、トレドでスタジオグラス運動を宣言したのだった。
3.日本の伝統美をガラスで表現(飾筥‐かざりばこ)
昭和40年(1965)代に入って、僕は流動ガラス(虹彩など)に続く作品をつくりたいと模索していた。美術学校時代から好きだった尾形光琳や俵屋宗達のことを考えた。もし、光琳や宗達が生きていたら、ガラスという素材でどういうものをつくっただろうか。少しでも暇ができると、そんなことばかり考えた。
琳派芸術の最大の特色は、豪華絢爛でありながら、現代にも通ずる優れたデザイン性にある。考えたのが金箔を使うことだった。僕は彫金科で曲がりなりにも金属を勉強したから抵抗はなかった。さっそく日本画に使う金箔を買ってきて試した。しかし、何度やっても失敗する。高熱で収縮してしまうのだ。それを美術につかう金箔の10倍も厚い歯科用の金箔を使って乗り越えた。
次に形である。ガラスといえばグラスだったり鉢だったりするが、琳派に学ぶとすれば、これまでに例のない箱形にしてみよう。それを吹きガラスでつくるのだから、さまざまな準備が必要だった。例えば、鉄製の型だ。箱の形をした型を鋼鉄でつくり、吹いて膨らませたガラスを柔らかいうちに型に入れて吹く。冷ました後、型からはみ出した部分をすべてカットする。吹きガラスだから、中は真空になっており、箱の半分ができたことになる。同じようにもう一個をつくり、一つは底を平らに、もう一つは蓋と分かるように丸みをつけて二つを合わせれば、箱が完成することになる。
こうして数えきれないほどの試行錯誤を繰り返して完成したのが「菖蒲」という作品だ。僕は少ししゃれて、飾筥(かざりばこ)という名前を新しい作品群に命名した。この独創的な飾筥の中は「夢を入れる」と外国展で発表すると、大きな評判を呼び、世界各地の展覧会に呼ばれるようになった。
藤田 喬平(ふじた きょうへい、1921年4月28日 - 2004年9月18日)は、東京府豊多摩郡大久保町(現・東京都新宿区百人町)生まれのガラス工芸家。
東京美術学校で彫金を学ぶが、途中でガラス工芸に転向する。その後、イタリアで学んだ色ガラスと金箔を混ぜた飾筥(かざりばこ)で独自のガラス工芸分野を確立した。
1989年(平成元年)日本芸術院会員、1997年(平成9年)文化功労者、1999年(平成11年)、市川市名誉市民、2002年(平成14年)文化勲章受章[1]。
宮城県宮城郡松島町(日本三景・松島)に、藤田喬平ガラス美術館がある。