掲載時肩書 | 住友林業最高顧問 |
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掲載期間 | 2022/06/01〜2022/06/30 |
出身地 | 満州(東北部)山口県 |
生年月日 | 1940/04/21 |
掲載回数 | 29 回 |
執筆時年齢 | 82 歳 |
最終学歴 | 北九州大学 |
学歴その他 | |
入社 | 住友林業 |
配偶者 | 大学英会話2年下 |
主な仕事 | シアトル、広島、社長の通訳役20年、海外訴訟、海外住宅進出、住宅本部長、女性活用、森も守る会 |
恩師・恩人 | 植村實、山崎完 |
人脈 | 保田克己、海外の実力友人多し、井上礼之、小椋佳、岸田勝彦 |
備考 | 母親が教育者、実用英語のすすめ |
この会社は、第一次産業の農林水産業の林業から出発して、現在注目の第六次産業である生産・加工・流通・販売まで行う世界シエアトップのユニークな住宅企業になっている。これも矢野氏が早くから海外に人脈をつくり、海外住宅進出に取組んだ成果だった。当初四国の別子銅山開発から発生した山林荒廃を、元の大自然に戻すべく植林から出発し、現在は、街の緑化事業まで手を広げているが、根幹には木を使うだけでなく、木を育てる山林事業にも力を入れる企業理念を持ち、日本国土の約800分の一、約4万8000ヘクタールを保有しているエコ大企業だった。
1.最初がシアトル駐在
住友林業に入社し、3年間の勉強期間が過ぎると、1966年から米シアトルでの駐在員生活が始まった。26歳だった僕は水を得た魚のようにあちこちを飛び回った。森林の買付のためヘリコプターに乗って文字通り飛び回るのだ。空に舞い上がるとロッキー山脈やカスケード山脈の壮麗な姿を一目に見渡せた。森の上を飛ぶとクマやシカがヘリの音に驚いて走り回る。
東京にいると山林の購入は1億円ぐらいで社長決裁なのに、シアトルでは5億円や10億円の取引を僕一人で決めた。今からするといいかげんな話だが、その頃の日本経済は高度成長にわいていて、原木を買えば買うほど儲かったのだ。森林の調査は空から見るだけでなく、森の中に降りて、木の状態を見て回る。天候が変わってヘリが迎えに来られなくなることがあるため、寝具と3日分の食糧を携行した。泊りになったらオオカミに襲われないよう、一晩中焚火をした。直ぐ近くで、何匹ものオオカミの目が光っているのだ。
2.山崎完社長
僕が30歳代から海外出張のカバン持ちをした山崎完さんは、戦後に社名が現在の住友林業となってから3代目の社長だ。筆頭株主だった住友金属鉱山の専務から転じ、コストダウンなど自助努力の余地が大きい製造者利益を取る狙いをもって1975年に住宅事業への進出を決めた。住友林業の中興の祖である。
しかしカバン持ち仕事はハードだった。山崎さんは訪問する先々で、その土地の話題をスピーチに取り入れた。僕は早朝5時から起きてローカル新聞に目を通し、7時半までに要点を伝えた。それを聞いて山崎さんが指示をし、東京で作ってきた原稿を、英文タイプで打ち直した。
山崎さんは終戦直後の住友鉱業(住友金属鉱山の旧社名)の課長時代、若い頃からチリに行って、合弁事業や海外事業で活躍したアントレプレナー(起業家)だ。山崎さんが住宅事業を始めていなかったら、住友林業は今も売上高が、一介の山林・木材建材会社と同程度にとどまっていたのではないだろうか。
経営者は無私高潔で志を持たなければいけないこと、社長は会社の代表として堂々と振舞うべきこと、物事は徹底してやらなければいけないこと、事業は精査・分析して構想を作り、時間軸を決めて着実に実行していかなければならないなど、僕は経営者としての行動指針の多くを山崎さんの後ろ姿から学んだ。
3.海外に住宅事業の本格進出
海外が長かった僕は社長になる前から、住友林業のきめ細かい住宅づくりを海外でも展開できるのではないかと考えていた。土地勘のあるシアトルで現地企業と合弁会社を作り、米国での住宅事業の展開に乗り出したのは2002年、社長になって4年目のことである。
米国には全国的な大手のハウスメーカーがなく、州単位でオーナー企業が勢力を持っているところが多い。米国全体を見渡すと、気候が良く、人口も増えているサンベルトと呼ばれる米国南部の州で、こうした企業を買収し、ノウハウも入れていけば、拡大の余地が大きかった。そこでリーマン・ショックの影響が落ち着いた2010年頃から事業を再開した。高収益の地場企業を見定めて、後継者がいない場合は買収を、成長資金が必要なら初めは少額出資で、最終的には過半数を出資するというやり方を取った。
交渉は金融機関などの仲介者を入れず、当事者同士で徹底的に話し合う素朴な方式でやった。本音をぶつけ合う交渉をやると、話がまとまった時には意思疎通が高いレベルに達した。話が壊れても良好な関係が残った。米国に先んじて、同じようなやり方で、リーマン・ショックの打撃が小さかったオーストラリアにも09年から出た。戦略は当たり、今では住友林業の利益の7割を米豪の住宅事業が稼いでいる。