掲載時肩書 | 作家 |
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掲載期間 | 1985/11/01〜1985/12/01 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1911/08/05 |
掲載回数 | 31 回 |
執筆時年齢 | 74 歳 |
最終学歴 | 東京大学 |
学歴その他 | 三高 |
入社 | 都新聞 |
配偶者 | 職場結婚 |
主な仕事 | 文学界、日歴、大学新聞、記者生活、人民文庫、教師、拓務省、療養長期、 |
恩師・恩人 | 桑原武夫、近藤春雄 |
人脈 | 花森安治(小)、井伏鱒二、中村正常、森本薫、武田麟太郎、高見順、丹羽文雄、中山義秀 |
備考 | 近藤春雄仲人 |
1911年8月5日 – 1988年4月9日)は東京生まれ。昭和期の小説家。『足摺岬』や『絵本』など希望の無い時代の孤独な知識人の暗い青春を描いた半自伝的作品や、弱者に対するしみじみとした愛情に支えられた独特のリアリズム小説を発表し、戦後高い評価を受けた。『落城』『霧の中』などの歴史物でも知られる。『菊坂』『絵本』『足摺岬』『異母兄弟』といった田宮の小説の基本モティーフは、人が人であることへの絶望感である。『絵本』そして『絵本』の続編的内容である『足摺岬』などが代表作とされる。その私小説世界は、いまなお多くの心を捉えている。『霧の中』『落城』などの歴史小説も評価が高く、戊辰戦争から十五年戦争にかけて激動の時代の中で、運命に翻弄される人々の絶望、それに苦悩する魂を清冽な叙情でつづる。
1.私の性格
私は身体も弱かったが、身体よりも心の方がいっそう弱かったと思う。私の身辺には悲観しなければならない条件がひしめいていたのに、私はそれらと闘う姿勢をとることが出来なかった。私が決心して、せめて学生がどうしてもしなければならない学問に立ち向かうというただ一つだけの努力を奮い立たせれば、思い出してもわびしい私のみじめさぐらいには打ち克てたはずだ。
しかし私は、その頃私には重圧と思えていた様々なものに押し流され、やけくそな気持ちが心の中で荒れ狂うのを抑制することが出来なかった。もし、私が小心でなければ、また身体が虚弱でなければ、この時点で私は自滅していたに違いない。これを救ってくれたのが下宿の女主人の明るく慈悲の心でした。
2.ブラジル移民の世代観
後年ブラジルに行ったとき、サンパウロ大学の教授が私に日系二世と三世との違いを話してくれた。ブラジルに移民した日本人一世は、日本の資本主義が急成長するための社会のひずみに耐え切れずに落ちこぼれた困窮者たちであった。その家庭には文化らしいものは何一つなかった。彼らは学歴社会の日本で学校に進めばよい事だけを知っていた。長い苦闘の生活が安定すると、彼らは二世を大学に進ませた。しかし、文化などに縁のなかった一世に育てられた二世は、学問がどういうものであるかを知らずに、ただ成功するための段階として大学に進んだ。そのような二世であっても、大学を出ればその家庭に文化はやはりある程度浸透している。その二世に育てられた三世になると、大学に進むことの意味、学問することの意味を理解することができているのだから、学習に立ち向かう態度が二世とは違っている。
私の父は明治維新で故郷を捨てた一世であり、私はその一世の低文化の環境の中に育った二世であった。私も学問することの意味を知らなかったのだ。
3.「エデンの東」と私
スタインベックの「エデンの東」に次のような言葉がある。―子供が親から愛されないことは地獄に落ちた苦しみであるー。父と私との関係は、ようするに異常だったのだ。
私がこの本に魅せられたのも、その中に出てくる父親のアダムと息子のキャルとの間のありようが、私の場合に通じるものがあったからである。私は「エデンの東」を幾度となく読み返し、そのたびにキャルが優等の兄のアロンの真似をしたり、ことさらアダムの心を惹こうとして、アダムに突き放されたりするところで、私は感動する。私にも同じような思い出があるからである。
「父という観念」(昭和27年7月「新潮」)を書き終えた時、それまで私を重たく包んでいた灰色の靄のようなものが、烈風に吹き払われたように消えてしまっているのを、私は感じた。地獄に堕ちているような悲しみを何者(もし、神ならば神)かに訴え続けて、「父という観念」の中に書いた老人にたどり着いた。その時、私がその老人を心の中に包み込むことで、それまでの苦しみや悲しみは消えてしまったのだ。
田宮 虎彦 | |
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誕生 | 田宮 虎彦 1911年8月5日 東京府 |
死没 | 1988年4月9日(76歳没) |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 東京帝国大学国文学科卒業 |
ジャンル | 小説 |
代表作 | 『霧の中』(1947年) 『落城』(1949年) 『足摺岬』(1949年) 『絵本』(1950年) 『銀心中』(1952年) |
主な受賞歴 | 毎日出版文化賞(1951年) |
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田宮 虎彦(たみや とらひこ、1911年8月5日 - 1988年4月9日)は、日本の昭和期の小説家。『足摺岬』や『絵本』など希望の無い時代の孤独な知識人の暗い青春を描いた半自伝的作品や、弱者に対するしみじみとした愛情に支えられた独特のリアリズム小説を発表し、戦後高い評価を受けた。『落城』『霧の中』などの歴史物でも知られる。