掲載時肩書 | 王子製紙会長 |
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掲載期間 | 1983/10/11〜1983/11/06 |
出身地 | 長野県佐久 |
生年月日 | 1910/07/29 |
掲載回数 | 27 回 |
執筆時年齢 | 73 歳 |
最終学歴 | 九州大学 |
学歴その他 | 八高 |
入社 | 王子製紙 |
配偶者 | 兄紹介娘、死後再婚 |
主な仕事 | 統制会社、王子製紙工場(苫小牧1・十条7・本州7)→苫小牧、社有林30年計画、日本パルプ合併、製紙連合会 |
恩師・恩人 | 高島菊次郎、中島慶次 |
人脈 | 都留重人(マルクス会)藤原銀次郎、足立正、加藤藤太郎、麻生太賀吉、桜田武・永野重雄(財界師)、田中清玄 |
備考 | 父:地主・校長 |
明治43(1910)年7月29日~平成10(1998)年1月6日)は長野県生まれ。昭和期の実業家 元・王子製紙社長。日経連副会長、56年日本製紙連合会会長に就任。他に金利調整審議会委員など、多数兼務。
1.引き揚げ者、約1万2千人の受入れ
1945年の敗戦によって王子製紙は樺太(サハリン)、朝鮮、満州(中国東北部)、南方諸国にあった数多くの工場や山林を失い、海外から約1万2千人近い社員が続々引き揚げてきた。私が帰ったばかりの頃の本社は、戦災に遭った工場の復旧や海外からの引き揚げ者の受入れで、テンテコ舞の忙しさだった。
中島慶次社長は就任早々から、引き揚げ者受け入れの先頭に立って奔走した。「従業員は会社の宝だ。会社の命令で外地に行ったんだから、とにかく温かく迎えなければならない」との考え方だった。樺太の総支配人をしていた木下又三郎さんなどは、シベリアで抑留生活を続けていたが、「木下は元気でいつか帰ってくる」と言い、副社長のポストを空けて待っていたほどだ。結局、約1万2千人の復帰希望者全員を受け入れるという奇跡みたいなことをやり遂げた。これによって中島社長は、復員者たちからは慈父の如く尊敬を受けた。
2.大王子製紙の分割
GHQの命令で昭和24年(1949)8月、かって国内外に56工場と約3万人の従業員を抱え、国内紙市場の80%を握っていた大王子製紙が解体した。苫小牧製紙(1工場)、十条製紙〈7工場〉、本州製紙〈7工場〉の3社に分かれて再出発することになった。分割が内定してからの社内の関心は、自分は分割後どの会社に行くかに集中していた。従業員から希望を募ったところ、工場が本州に集中し上質紙を中心に最も儲かっていた本州製紙がトップになった。その次が十条製紙で、苫小牧にしか工場がない苫小牧製紙を希望する人は最も少なかった。
どの会社に誰が行くかは、本人の希望をもとに、解体委員会が中心になって割り振った。特に本社は、全員が配転の対象になるので、誰にとっても大変な関心事だった。分割後は、中島さんが3社の中でも長男格の苫小牧製紙の社長になり、十条は西済氏、本州は田辺武次氏が社長に就任した。私自身は、苫小牧製紙が1工場しか持たないことに多少の不満を感じていた。だが、解体前の山林関係の最高責任者だった大塚さんが苫小牧製紙の副社長になり、「お前も来い」と言うので、それに従った。
3.再合併を断念
昭和43年(1968)3月21日、旧王子製紙3社の合併計画を踏まえて、王子の中島会長、十条の西会長、本州の木下社長、王子熊沢社長、十条金子社長と3社の社賓を代表して加藤藤太郎氏が合併覚書に調印した。GHQ命令による大王製紙の解体からまる20年。分割、解体前の姿への復帰を狙ったこの計画の突然の発表は、各方面に大きな反響を呼んだ。
この3社の合併は、紙パルプ業界では1,3,4位企業の合併である。新発足する王子製紙は、年間売上高約1千8百億円、合計18工場、約1万8千7百人の従業員を擁する企業になるはずだった。ただ、それでも世界の紙パルプ業界での売上高比較では13位に顔を出す企業にしか過ぎない。通産省は、この合併が国際競争力の強化と、業界の体質改善に役立つと見て積極的に後押ししてくれた。公取委の反応も極めて好意的だった。
ところが、4月16日に八幡製鉄、富士製鉄の合併構想が公表になって事態は一変する。この発表の後、合併問題についての世間の関心が急に高まった。それと歩調を合わせるように、公取委の態度もにわかに慎重になり、厳しさを増していった。結局、世情や公取委の判断などを考慮し、この計画は取下げとなった。
もし合併しておれば、社長は木下、副社長は熊沢、金子と内定していた。
別名義 | 滝原満、草薙圭一郎 |
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生年月日 | 1941年9月22日 |
没年月日 | 2009年4月12日(67歳没) |
出生地 | 東京都 |
国籍 | 日本 |
職業 | 映画プロデューサー、小説家 |
ジャンル | 特撮映画、ファンタジー |
配偶者 | 田中大輔(長男) |
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