掲載時肩書 | 俳優 |
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掲載期間 | 1997/08/01〜1997/08/31 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1918/08/20 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 79 歳 |
最終学歴 | 立教大学 |
学歴その他 | |
入社 | シナリオ研究所 |
配偶者 | 記載なし |
主な仕事 | 東宝、「青い山脈」「暁の脱走」、松竹「雪国」、東映、映画協会理事長、映画・ドラマ同数150本以上 |
恩師・恩人 | 島津保次郎 |
人脈 | 高峰秀子、市川崑、石坂洋次郎、谷口千吉、李香蘭、豊田四郎、藤本真澄、東映・俊藤、高倉健、 |
備考 | 父:有名画家、母・岡本 一平妹 |
1918年2月11日 – 2010年10月8日)は東京市生まれ。俳優・随筆家。甘いマスクとスマートさで「万年青年」の異名をとった。父は風刺・風俗漫画家として一世を風靡した池部鈞、母は画家・漫画家岡本一平の妹。芸術家の岡本太郎は従兄。シナリオライターを目指しただけあって、ユーモアのある名文だった。
1.俳優デビューは島津保次郎監督
シナリオライターを目指していたが、「不良少年の俳優役はどうだ」と言われ「俳優はやりません」と答えた。すると、島津保次郎監督は、「いいかい、池部よ。あたしはね。無理強いってのは嫌いなんだ。嫌なら嫌でいいよ。でもな、あたしはね。お前さんの頭の中には、お父っつあん譲りの、芸術の才能が天神様みてぇに鎮座しましていると思うのよ。聞いたんだが、お前さん、来年2月にゃ、軍隊に入るんだってな。もし、兵隊から帰えって来たら、お前さんさえよければ、あたしの助監督にして、監督にしてあげるよ」と言われた。
じわっと、涙が溜まってきた。ここまでおっしゃって下さるなら、今更、言うこともなければ、抵抗することもない。冥利に尽きる。「不良少年、演ります」と大声で返事をしてしまった。
さて出番の初日は「築地警察署から、釈放されて出て来る、清少年」という場面。衣装の背広に替え、築地署の玄関に立って待機していたら、監督が短い足をばたつかせて、やって来て「馬鹿じゃねえのか?お前は」と、まず一声あって、「お前、留置場に入ったことねえのか?」と言う。「入ったことありません」と答えた。
「役者ってものはな。芝居をやる前、ちゃんと調べておくもんだ。留置場へ入るとなると、自殺されちゃ困るから、身体につける紐って紐、みんな取り上げちまうんだ。出るとき、貰うんだ。今日まで、かなり日があったろうに。留置場ぐらい1日や2日入ってなきゃ、役者じゃねえぞ」と怒鳴られた。
2.青い山脈・・30歳、幼稚さで高校生役
昭和23年(1948)の春だった。東宝プロデューサーの藤本真澄さんが「青い山脈」にでろよ、と言う。30歳を過ぎて17歳の役を演じるのをためらっていたら、「原作者の石坂洋次郎先生がお前を指名しているから、一緒に訪問して理由を聞こう」となった。
田園調布の石坂先生宅を訪ねると、先生の奥さんが「あたす達、初めて東京に出てきて、大森に住んだら、ご近所に池部鈞さんという有名な絵描きさんが居られて、めんこい、わらしっこがいたでや。それが良ちゃんだったのね。その子が池部良でねえの。懐かしくなってさ」と言われたら、石坂先生が手で制してから、
「それもあります。しかし何かで見たのですが、池部さんなら、六助少年を演れると思いました。少年というのは、物事の判断がつかない幼稚な脳を持っています。池部さんなら、その幼稚さを十二分に持っている、と私は思いました」おっしゃった。「池部、お前、頭悪くて良かったな」と藤本さんは手を叩いて笑った。
3.役得、監督の実技指導
昭和24年(1949)、映画「暁の脱走」の布陣は、監督は谷口千吉さん、共演は憧れの李香蘭こと山口淑子さん(歌手役)で、私は上等兵役でした。監督指導は「軍人のキッスは何もしない。口を結んでいろ。しかし、相手がお返しのキッスを求めてきたら、こうのようにしろ!」と実技となった。
僕の横にいて浮かぬ顔をしている淑子さんを、太い腕で、ぐいと引き寄せ、がばりと彼女の顔に、自分の顔を覆いかぶせた。何十分も、監督は、淑子さんの口に唇を重ねていたとは思えないが、かなり長い時間を費やした。突然、「痛えっじゃねえか」と叫んだ監督は、股間を両手で押さえて、何度も、飛び跳ねた。
「何、すんだよ、李さん」と監督。「冗談じゃないわよ。わたし、死ぬとこよ。枕みたいな唇を開けて、牛の舌みたいな舌入れられたら、わたし窒息するじゃない」と淑子さんは、あの綺麗な声で喚いた。
僕は、上等兵だ。ああいう強烈なキッスはできないのか、と嘆き、悲しんだ。でも「暁の脱走」は、都民映画コンクール第一位になって、たくさんの方に観てもらえたのだった。
いけべ りょう 池部 良 | |
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1952年撮影 | |
生年月日 | 1918年2月11日 |
没年月日 | 2010年10月8日(92歳没) |
出生地 | 日本・東京府東京市大森 (現・東京都大田区大森) |
死没地 | 日本・東京都 |
身長 | 174 cm |
血液型 | B型 |
職業 | 俳優・随筆家 |
活動期間 | 1941年 - 2010年 |
事務所 | 鈍牛倶楽部(最終所属) |
主な作品 | |
映画 『青い山脈』 / 『現代人』 『坊っちゃん』 / 『雪国』 /『乾いた花』 /『暗夜行路』 『昭和残侠伝シリーズ』 / 『地獄拳シリーズ』 | |
受賞 | |
日本文芸大賞 |
池部 良(いけべ りょう[1][2]、1918年〈大正7年〉2月11日[1][3] - 2010年〈平成22年〉10月8日[4][3])は、日本の俳優、随筆家。
東京市大森区(現・東京都大田区)出身[1]。身長174センチメートル[5]。立教大学文学部英文科卒業[6][7][1]。昭和中期の代表的な映画スターの一人。甘いマスクとスマートさで「万年青年」の異名をとった[8]。
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