掲載時肩書 | 物理学者 |
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掲載期間 | 2007/01/01〜2007/01/31 |
出身地 | 大阪府 |
生年月日 | 1925/03/12 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 82 歳 |
最終学歴 | 東京大学 |
学歴その他 | 三高 |
入社 | 神戸工業 |
配偶者 | 真佐子のみ |
主な仕事 | ノーベル5ヶ条、ソニー、江崎ダイオード、IBM,ノーベル賞、筑波学長、半導体超格子、教育改革国民会議、芝浦工大 |
恩師・恩人 | 嵯峨根遼吉教授 |
人脈 | 森礼於(鴎外孫)、井深大・盛田昭夫、八木秀次、村上和雄 |
備考 | つくばサイエンス・アカデミー |
1925年(大正14年)3月12日- )は大阪生まれ。物理学者。日本国外においてはレオ・エサキ(Leo Esaki)の名で知られる。1973年(昭和48年)に、トンネル効果に関連して日本人としては4人目となるノーベル賞(ノーベル物理学賞)を受賞した。1960年、米国IBM トーマス・J・ワトソン研究所に移籍。磁場と電場の下における新しいタイプの電子-フォノン相互作用や、トンネル分光の研究を行った。さらに分子線エピタキシー法を開発し、これを用いて半導体超格子構造を作ることに成功した。1992年、筑波大学学長に就任した。学長として6年、産・官・学連携の拠点として先端学際領域研究センター(TARAセンター)の立ち上げ等、大学改革の推進を行った。
1.ノーベル賞の秘訣五か条(してはいけない)
私は様々なところで話をするが、聴衆を大いに刺激し、奮起させる効果があるので、最後はいつも次の五か条で締めくくることにしている。
(1)今までの行きがかりにとらわれてはいけません。しがらみという呪縛を解かない限り、思い切った創造性の発揮などは望めません。(2)教えはいくら受けても結構ですが、大先生にのめり込んではいけません。のめり込みますと権威の呪縛は避けられず、自由奔放な若さを失い、自分の想像力も低下します。(3)無用ながらくた情報に惑わされてはいけません。約20ワットで動作する我々の頭脳の能力を配慮し、選択された必須の情報だけを処理します。(4)自分の主張を貫くために戦うことを避けてはいけません。(5)子供のようなあくなき好奇心と初々しい感性を失ってはいけません。
2.トランジスタの誕生(世紀の発明)
1947年には科学の分野で国際的なスケールの大きな出来事があった。米国のベル研究所での、真空管に代わるべき半導体トランジスタの誕生である。このニュースを最初に聞いたのは、48年頃、卒業以来、久方ぶりに嵯峨根遼吉先生を訪ねた時である。師はこれは大変な発明だと評した。
トランジスタはその革新性と影響力に於いて20世紀最大の発明といっても過言ではない。これを通じて、私が学んだことは、真空管をいくら研究しても、改良してもトランジスタは生まれてこないということ。しかし変革の時代には、今までにない革新的なものが誕生し、将来は創られるといえるのである。ここでは、創造力が決定的な役割を演ずることはいうまでもない。
3.エサキダイオードの誕生(偶然と必然)
半導体に電圧をかけた場合、ある限界を超えると、絶縁破壊(ブレークダウン)が起こり、どっと電流が流れる。この現象を巡って古くから論議が絶えず、私は深い関心を抱いていた。
「宇宙に存在するものは全て偶然か必然(Chance or Necessity)が生んだ果実である」と喝破したのは、古代ギリシャきっての自然哲学者デモクリトスである。エサキダイオードの誕生にもこの両者が関わっている。
私独自の方法でPN接合幅をどんどん薄くしていくと、予想通り、順方向の特性はあまり変化しないが、逆方向の耐電圧はどんどん低下し、逆方向の方が順方向より電流が流れやすいという、前代未聞の新ダイオードが誕生した。私はこれを逆方向ダイオードと名付けた。ここでは疑いなくゼーナー理論が働き、私はついにトンネル電流を観測できたと確信したのである。ここまでは“必然”の結果だった。
しかしチャンスの女神は、1957年7月頃の暑い日であった。研究室の冷房はきかない。逆方向ダイオードを零下約80度の槽に入れ、順方向に流れるトンネル電流を見ていると、何と、かける電圧を上げるほど流れる電流が少なくなる、いわゆる「負性抵抗」を発見したのである。これがエサキダイオードの嚆矢である。考えれば当然の特性なのであるが、予想できなかっただけである。負性抵抗は応用面において、大きな価値がある。通常のダイオードとは異なり、発振・増幅・スイッチングの働きをする。その上、トンネル電流であるから超高速で作動する。いうならばここに、これまでのトンネル電流にまつわる“創造的な失敗”をチャンスの女神が“創造的な成功”に変えてくれたのである。
江崎 玲於奈 | |
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日本学士院より公開された肖像写真 | |
生誕 | 1925年3月12日(99歳)[1] 大阪府[1]中河内郡高井田村(現在の東大阪市) |
国籍 | 日本 |
研究分野 | 半導体物理学 |
研究機関 | IBM トーマス・J・ワトソン研究所 |
出身校 | 東京帝国大学 |
主な受賞歴 | 日本学士院賞(1965年) ノーベル物理学賞(1973年) IEEE栄誉賞(1991年) 日本国際賞(1998年) |
補足 | |
プロジェクト:人物伝 |
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江崎 玲於奈(えさき れおな、1925年(大正14年)3月12日[1] - )は、日本の物理学者。日本国外においてはレオ・エサキ(Leo Esaki)の名で知られる。
1973年(昭和48年)、トンネル効果の研究に関連して、アイヴァー・ジェーバー、ブライアン・ジョゼフソンとともにノーベル物理学賞を受賞し、日本人としては4人目となるノーベル賞受賞者となった[2]。