掲載時肩書 | 豊年製油会長 |
---|---|
掲載期間 | 1957/06/29〜1957/07/12 |
出身地 | 和歌山県 |
生年月日 | 1875/09/19 |
掲載回数 | 14 回 |
執筆時年齢 | 81 歳 |
最終学歴 | 大阪市立大学 |
学歴その他 | 福山誠之館 |
入社 | 米国貿易会社 |
配偶者 | 紙社長娘 |
主な仕事 | 中外貿易会社、米国視察、帝都復興院、満州視察、豊年製油(鈴木商店系)、財団癌研究会、育英会 |
恩師・恩人 | 成瀬隆蔵、金子直吉 |
人脈 | 浜口梧洞(ヤマサ・同級),喜多又蔵(日本綿花)、和田豊治(富士紡)、野村徳七(学友)、村田省蔵、松本烝治 |
備考 | 大豆かす有効活用 |
明治8年(1875年)9月19日 – 昭和48年(1973年)3月10日)は和歌山県生まれ。実業家。豊年製油(現J-オイルミルズ)会長。明治27年(1894年)大阪商業学校(現大阪市立大学)を卒業すると神戸の米国貿易商社に入社。大正6年(1917年)、中外貿易会社を創立。大正13年(1924年)、豊年製油株式会社の社長に就任。昭和29年(1954年)10月会長に選ばれる。長男元太郎の妻 淑子は、元式部官牧野伸通(明治の元勲大久保利通の二男牧野伸顕の長男)の次女。
1.外国貿易の実権を日本人に
大正6年(1917)、遂に米国貿易会社を退職した。喜多又蔵君が社長だった日本綿花会社に中心となってもらい、新しく中外貿易会社を創立したのである。これで「貿易の実権を日本人の手に取り戻そう」という大阪商業学校の恩師・成瀬隆蔵先生の教訓に報いることが初めてできたのである。
しかも米国貿易会社は、長年私が同社に勤続したことに報いるため、私自身の担当していた輸出部事業の全部をあげて中外貿易に無償で引き継いでくれた。その上、世界各地における米国貿易会社の本支店が、中外貿易の代理店となって、輸出品の販売を引き受けてくれることになった。ありがたいことだった。
日本綿花と、新しく発足した中外貿易との関係は、全く親子のようなものであった。日本綿花は主として綿花、綿糸、綿布、羊毛など繊維製品を扱い、中外貿易は、それ以外の輸入品を扱うことにして、内地では大阪に本店を置き、支店を東京、横浜、神戸に、出張所をニューヨークに開設した。
2.豊年製油を引き受ける
大正13年(1924)5月、私は豊年製油社長に就任した。前年の関東大震災後、帝都復興院のお手伝いをしているころ、台湾銀行副頭取の森広蔵氏から神戸の有名な鈴木商店の整理のため、豊年製油の経営を引き受けてくれないかとの相談があった。豊年製油は鈴木商店の三大事業(他に帝国人絹と神戸製鋼所)の一つであり、当時、台銀の手に入っていたのだった。私は製油事業は全く経験がないし、自信もなかったので、満州に出張して大豆の調査を行った。これで一生懸命やれば何とか、と思い引き受けたのだった。
本社は神戸の鈴木商店の事務所に部屋住まいだった。これではいろいろ不便なので、本社を東京丸ノ内の海上ビルに移した。さて、会社の経理状態を徹底的に調べると、豊年製油は鈴木商店に約六百五十万円の貸越しになっていた。1千万円の資本金会社でこれだけの貸越しだと、中身は空っぽである。仕事をするには、なによりもまず金融の道を付けなければならない。特に原料大豆の買付は、満州で買付けて輸入する関係上、大連為替が必要なのである。そこで私は正金銀行に行き、中外貿易時代から懇意だった児玉謙次頭取にお話しした。
「工場はすべて台湾銀行に650万円のカタで担保に入っている。だから他に担保はないのだが、強いて言えば杉山の首を担保に置く。どうか一つ、面倒を見ていただきたい」と懇請したのだった。
「君、ずいぶん、虫のいいことを言うね」と冷やかされもしたが、何とか融資が許可されたのだった。
3.工業(製造業)の重視は原料
高名な実業家の和田豊治さんが富士紡の社長を長年やって、いつも言っておられたのは、全ての工業は一に原料、二に製造、三に販売ということであった。工業の盛衰は原料の買付の巧拙が最も重要な要素であるといって、氏が富士紡に関係していた間は原綿の買付を常に自分で指図されたと聞いていた。私も和田さんのマネをしたわけではないけれども、原則には変わりがないわけだから、原料大豆の買付は常に陣頭に立ち指図をして買った。
そして原料を買ったら必ず製油する。製油した製品は必ず売るという根本方針で経営を始めたのであった。
すぎやま きんたろう 杉山 金太郎 | |
---|---|
生誕 | 1875年(明治8年)9月19日 日本 和歌山県海草郡川永村(現:和歌山市) |
死没 | 1973年(昭和48年)3月10日 日本 東京都 |
墓地 | 小平霊園 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 大阪商業学校(現:大阪市立大学) |
肩書き | 豊年製油社長・会長・相談役 ユニリーバジャパン創業監査役 豊ホルマリン工業取締役社長 経済団体連合会常任理事 日本経営者団体連盟常任理事 日本学術振興会理事 日本貿易振興会評議員 日本植物油協会初代会長 帝都復興院嘱託 |
配偶者 | チヨ子(市川元八長女) |
子供 | 杉山元太郎 |
親 | 杉山元右衛門 |
親戚 | 義娘:杉山淑子(伯爵牧野伸通令嬢) 孫:門野豊子(門野進一夫人) 孫: 杉山元和 孫:杉山金治(高円宮妃宮務官) |
受賞 | 正五位 勲三等瑞宝章(瑞宝中綬章) 紺綬褒章 藍綬褒章 ニューオーリンズ名誉市民 |
杉山 金太郎(すぎやま きんたろう、英語: Kintaro Sugiyama、1875年(明治8年)9月19日 - 1973年(昭和48年)3月10日)は、日本の実業家。栄典は正五位勲三等瑞宝章。ニューオーリンズ名誉市民。