掲載時肩書 | 女優 |
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掲載期間 | 2010/04/01〜2010/04/30 |
出身地 | 大阪府 |
生年月日 | 1932/04/03 |
掲載回数 | 29 回 |
執筆時年齢 | 78 歳 |
最終学歴 | 宝塚音楽学校 |
学歴その他 | 夕陽丘 |
入社 | 東宝 |
配偶者 | 中村錦之介 、河村三郎 |
主な仕事 | 13歳帰国、松竹、監督?不倫、映画「浪速の恋」、舞台「はなれゴゼ」、 |
恩師・恩人 | 宇野重吉、木村光一 |
人脈 | 宝塚3人娘(新珠、八千草)、にんじんクラブ(岸、久我)、小津、扇雀、小林陽太郎、名古屋章、井上ひさし、 |
備考 | 母同じ宝塚芸名 |
1932年4月3日 、大阪府生まれ。女優。宝塚入団時の成績は63人中9位。在団期間は短かったが、主演娘役として活躍した。在団中の1951年、東宝『寳塚夫人(宝塚夫人)』で映画デビューする。元々、宝塚在団中から新劇のファンであり、映画への誘いに抵抗がなかったという。1953年、自身が男役を演じた際の違和感から映画に興味が転じ、3月25日付で宝塚歌劇団を退団し、東宝の専属女優となる。1954年には岸惠子・久我美子らと共に「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立する。
1.にんじんくらぶ発足
昭和29年(1954)に5社協定に反旗を翻して、同年代の岸恵子さん、久我美子さんと3人で立ち上げた。新橋駅近くに小さな事務所を構え、発会式には川端康成、舟橋聖一、井上靖、壺井栄、佐多稲子といった文壇のそうそうたる顔ぶれがご出席くださり、アトラクションは3人の絣の着物に赤い襷で、「揃うた、揃うたよ、田のあぜ道に、赤い襷の娘が揃うた・・」と歌い踊る大騒ぎだった。
このクラブ作品は、映画史に残る五味川純平監督の「人間の条件」、石川達三の「充たされた生活」、今東光の「お吟さま」などの3本はかなりの成果を上げた。
2.小津安二郎監督
昭和32年(1957)に小津監督の「東京暮色」に出演した。小津組は、他の組と全く違って、スタジオは空気がピーンと張りつめてしわぶき一つしない。小道具を置く方角を「そのコップちょっと大船、花瓶は鎌倉」と指示するのはいまや有名なエピソードだが、「彼岸花」では卓上の食器が気に入らず、急遽、ご贔屓の新橋の店から取り寄せることとなり、その日一日はお休みになったことがある。俳優にとって、小津作品に出るというのは特別な意味がある。とりわけセリフや動きを何度も何度も練習する。「行くの?」 「行くわ」 「やっぱり行くの?」。私はくが高い、わが低いと何回も言わされた。原節子さんが黙って振り向くシーンを10回もやらされているのを見て、ベテランでこうなのだから私などはと顔がピクピク痙攣した。ただ仕事が終わると、小津監督は、見事に人のいいお酒好きの好々爺と一変する。ネコちゃん、すき焼き食べる? 私の演技の運命の出会いだと思う。
3.中村錦之助さん
昭和36年(1961)、大川博東映社長の媒酌で式を挙げた。京都の鳴滝の900坪の土地に、150坪の家を建てた。プールと体育館も作り、庭には大好きなスタンダードのバラを中心に70種類のバラを植えた。しかし、私はこの「豪華」な邸宅で安住することはできなかった。撮影を終えた錦ちゃんが、ひとりで帰宅することはまずない。いつも10人近いスタッフや、スタッフでない人も連れ帰って、夕食はそのまま大宴会になだれ込む。酒と料理の心配が絶えることがない。つまり私は宴会場の女将になったようなものだった。そしてこのお客様たちはそのまま宿泊客となり、朝にはまたその人たちのために朝食の支度。夫婦二人の時間などまったくない。何人かのお手伝いさんもフル回転したが、力を抜くことを知らない私は次第に疲れ始めた。
梨園の古いしきたりを重んる世界に生きる婚家を、自分なりに改革しようと思っても、夫や夫の家に尽くすことが結婚というなら、舞台への希望もあり忙しい妻には平安な家庭の両立は難しかった。
平成9年(1997)、錦ちゃんが亡くなった時、私は膝の手術をした直後で病院に入院していた。離別した元妻が通夜に行くのはおかしいと止める人もいたが、私は慣れない松葉杖で出かけた。明るく天衣無縫で自由奔放、洒脱で冗談が好きであれほど小気味のいいタンカを切れる人はいない、そんな俳優だった。そのスターの思い出話は尽きない。
ありま いねこ 有馬 稲子 | |
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『サンケイグラフ』1954年9月12日号より | |
本名 | 中西 盛子(なかにし みつこ) |
生年月日 | 1932年4月3日(92歳) |
出生地 | 日本・大阪府豊能郡池田町 (現:池田市)[1][2] |
血液型 | A型 |
職業 | 女優 |
ジャンル | 映画、テレビドラマ、舞台 |
活動期間 | 1949年 - |
配偶者 | 萬屋錦之介(1961年 - 1965年)[1] 河村三郎(1969年 - 1983年)[1] |
著名な家族 | (初代)有馬稲子(伯母・養母) |
公式サイト | 有馬稲子の喜望峰 |
主な作品 | |
テレビドラマ 『天と地と』 『赤い運命』 『あすか』 『名古屋仏壇物語』 映画 『彼岸花』[1] 『人間の条件』[1]<第一・二部> 『武士道残酷物語』 舞台 『風と共に去りぬ』[1] 『奇跡の人』 『はなれ瞽女おりん』 |
有馬 稲子(ありま いねこ、1932年4月3日[1] - )は、日本の女優。大阪府豊能郡池田町(現:池田市)出身[3]。血液型はA型。愛称は「ネコちゃん[4]」「おイネ」。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。本名:中西 盛子(なかにし みつこ)[3]。